小学校3年くらいかな。
毎年庭に立ててたでっかい鯉のぼりが、今年は出なかった。
「あ、出すのやめよった」って思った。
なんか、毎回やってたことを、急にやらなくなると、こう、ちょっと楽しみにしてた側は「あっ」って思う。
昔関わったお仕事で、「使ってくれたお客さんにお礼状を書いていこう」みたいな案が出た。
いやいや。分かるよ。分かるけど、やる? ずっとやる? やらないでしょ。最初のお客さんが成約したからこう気持ちが高ぶってるんじゃないの? ちゃんと冷静? ずっとやる? できるの?
例えばもしその最初のお客さんが「丁寧なお礼状が来たしこのお店最高だよ〜!」って友達に紹介してくれたとしよう。でも、そこでお礼状書くのやめてたら、先方は「あっ、やめよった」って思うよ。
みたいなことを考えてしまう。
いや、ぶっちゃけね、お客さんを増やすという意味ではやったほうがいいと思うの。もし途中で忙しくなったりしてその特別なお礼をやめたとしても、「なんだーやめちゃったんだー」で済む話だとは思う。損得を考えたら、やったほうが良い。
それはそうなんだけど、最初に気に入ってくれた人は、やめたって知ったら、きっと悲しい。
悲しい思いをさせるならば、持続不可能ならば、最初からやるべきじゃないよ。最初のお客さんを騙してるみたいだもの。
この手の話になると、いつも、俺の頭の中では鯉のぼりの上がってない庭が思い浮かぶ。
一種のトラウマなのかもしれない。
去年あたりにも似たことがあって、ちょっとした手間をかけてお客さんをもてなそう、みたいな案だったんだけど、それがどう考えても持続しなそうなことだったので、悲しい鯉のぼりのことが頭をよぎった。俺は「絶対それずっとやらないっしょ。やめましょうよ」と言った。持続不可能なことを、なぜやろうと思うんだろう。「ああ、ただのパフォーマンスで、その程度だったのか」と、薄っぺらい思いまで全部見抜かれるんだぜ。
でも、その時、鯉のぼりに関して、ちょっと思ったことがあって、あとで母親にメールしてみた。
「鯉のぼりを上げなくなった理由って、もしかして、隣に家が建ったから?」
そういえば、となりの空き地に、民家が建ったのがちょうどその頃だ。支柱が倒れて隣に当たったりしたら大変だ。もしかして、そういう理由があったのか。
そんなことすっかり忘れていて、"自分は不幸の王子様"的な記憶にすりかわっていた。
回避できないない理由で、鯉のぼりをやめた。それはカッコ悪いことだろうか。
隣に家が建つまで、父親は毎年鯉のぼりを出してくれた。もし父親が「隣の空き地はいつか家が建つから、鯉のぼりは最初から諦めるか〜」とか言ってたら、俺は、一生、鯉のぼりを見ることはなかったんだ。
なんか、古い、喉に引っかかってた何かが取れた感じ。
赤ん坊の頃から小学校の途中まで、鯉のぼりは、そこに居れるだけ、めいっぱい居てくれた。
居なくなったことがトラウマになるくらい、俺は、それが、嬉しかったんだ。
持続不可能なことはカッコ悪いことじゃない。
今なら、仕事の問いにも違った考えで臨める気がする。持続不可能でも、できるまでやったらいいじゃん。お礼状、書いたらいいね。途中でやめてしまっても仕方ない、それまでできるだけ、やったらいいんだわ。
母親からメールの返事が来た。
「鯉のぼりが風で絡まって大変だったからやめちゃった 鯉のぼり大変」
あ、そう。
毎年庭に立ててたでっかい鯉のぼりが、今年は出なかった。
「あ、出すのやめよった」って思った。
なんか、毎回やってたことを、急にやらなくなると、こう、ちょっと楽しみにしてた側は「あっ」って思う。
昔関わったお仕事で、「使ってくれたお客さんにお礼状を書いていこう」みたいな案が出た。
いやいや。分かるよ。分かるけど、やる? ずっとやる? やらないでしょ。最初のお客さんが成約したからこう気持ちが高ぶってるんじゃないの? ちゃんと冷静? ずっとやる? できるの?
例えばもしその最初のお客さんが「丁寧なお礼状が来たしこのお店最高だよ〜!」って友達に紹介してくれたとしよう。でも、そこでお礼状書くのやめてたら、先方は「あっ、やめよった」って思うよ。
みたいなことを考えてしまう。
いや、ぶっちゃけね、お客さんを増やすという意味ではやったほうがいいと思うの。もし途中で忙しくなったりしてその特別なお礼をやめたとしても、「なんだーやめちゃったんだー」で済む話だとは思う。損得を考えたら、やったほうが良い。
それはそうなんだけど、最初に気に入ってくれた人は、やめたって知ったら、きっと悲しい。
悲しい思いをさせるならば、持続不可能ならば、最初からやるべきじゃないよ。最初のお客さんを騙してるみたいだもの。
この手の話になると、いつも、俺の頭の中では鯉のぼりの上がってない庭が思い浮かぶ。
一種のトラウマなのかもしれない。
去年あたりにも似たことがあって、ちょっとした手間をかけてお客さんをもてなそう、みたいな案だったんだけど、それがどう考えても持続しなそうなことだったので、悲しい鯉のぼりのことが頭をよぎった。俺は「絶対それずっとやらないっしょ。やめましょうよ」と言った。持続不可能なことを、なぜやろうと思うんだろう。「ああ、ただのパフォーマンスで、その程度だったのか」と、薄っぺらい思いまで全部見抜かれるんだぜ。
でも、その時、鯉のぼりに関して、ちょっと思ったことがあって、あとで母親にメールしてみた。
「鯉のぼりを上げなくなった理由って、もしかして、隣に家が建ったから?」
そういえば、となりの空き地に、民家が建ったのがちょうどその頃だ。支柱が倒れて隣に当たったりしたら大変だ。もしかして、そういう理由があったのか。
そんなことすっかり忘れていて、"自分は不幸の王子様"的な記憶にすりかわっていた。
回避できないない理由で、鯉のぼりをやめた。それはカッコ悪いことだろうか。
隣に家が建つまで、父親は毎年鯉のぼりを出してくれた。もし父親が「隣の空き地はいつか家が建つから、鯉のぼりは最初から諦めるか〜」とか言ってたら、俺は、一生、鯉のぼりを見ることはなかったんだ。
なんか、古い、喉に引っかかってた何かが取れた感じ。
赤ん坊の頃から小学校の途中まで、鯉のぼりは、そこに居れるだけ、めいっぱい居てくれた。
居なくなったことがトラウマになるくらい、俺は、それが、嬉しかったんだ。
持続不可能なことはカッコ悪いことじゃない。
今なら、仕事の問いにも違った考えで臨める気がする。持続不可能でも、できるまでやったらいいじゃん。お礼状、書いたらいいね。途中でやめてしまっても仕方ない、それまでできるだけ、やったらいいんだわ。
母親からメールの返事が来た。
「鯉のぼりが風で絡まって大変だったからやめちゃった 鯉のぼり大変」
あ、そう。
そういや、箱根のケーブルカーに乗ったときの話。
駅のホームに、地元民らしき人たちが待ってたんです。明らかによそいきの格好ではない、くたびれたジャンパーを羽織っているお兄さん達。余計なお世話だけども、まあ、観光客とはちょっと違っていて、近所にちょっと来たっていう感じのね。
そうか、そうだよな。ケーブルカーって観光客のものみたいな感じだけど、ここに住んでるひとたちだって乗るわな。
3人ほど乗り込んできそうだったので、ちょっとだけ詰めて座りなおしました。
ドアが開いて、お兄さん達が乗り込んできて、逆のドアを開けて、出て行った。
一瞬なんのことやら分からなかったけど、お兄さん達は、電車を、歩道橋代わりに使っていた。
ケーブルカーは単線なので、電車を通り抜けることで、向こうの岸にたどり着くことができる。
無人駅なので、まあ、お金も掛からない。
あとでこのあたりの地図を確認したら、たしかに線路をまたぐ方法が他にない。
や、ものすごく遠くに線路を超えられそうな道はあったんだけど、赤い線のような感じで電車をつっきるのが一番簡単そう。

生活に溶け込んでる風の見事な横切り、あれは毎日やっとるね。毎日数回やっとるね。
移動する、モノを運ぶ以外の電車の使い方を初めて見た。横切る。電車にそんなコマンドあるんだ。
1時間に1回、あちらの世界へ橋が掛かる。それは、生きるための架け橋。
まあ、これはこれで、電車が生活を支える一つの形なのかもしれません。
でも、この使い方、鉄道会社は把握してるんだろうか。
鉄道会社に子供からの要望が来るんだけど、
「きょうは、ひろしくんのいえまででんしゃでいきました。でんしゃのかずがすくないので、あまりよこぎれません。もっとかずをふやして、よこぎりやすくしてください」
横切るって何!
あと、このあたりの人達が、本当の目的では電車に乗ったことが無かったら面白いなあ。
ずっと昔からこの地域の人達は電車を橋として使っていて、親には「はやく渡りきらないと異世界へ連れてかれる」みたいな感じで脅されていて、それが脈々と受け継がれていたら。
ハコ様が来たらすぐに渡らないといけない。とんでもないことが起こる。知り合いの友達のお兄さんは、ハコ様の中に取り残されてしまい、遥か遠くの箱根湯本で発見された。恐ろしや恐ろしや! や、まあ、それが本来の電車の機能なんだけども。
しかも、黒い服を着たハコ様の家来に身ぐるみ剥がされた。恐ろしや恐ろしや! まあ、電車賃なんですけども。わりと高いですからね。ケーブルカー。
雷が近くに落ちた日は、ハコ様が来ない。お怒りじゃ! ハコ様はお怒りじゃ! ただの停電なんですけど。
18歳になると、若者がハコ様にさらわれていく。まあ、就職とか進学なんですけど。
何の話でしたっけ。ケーブルカーを横切る人たちね。あの、あれです。高架橋とか作ればいいんじゃないの、と思いました。
駅のホームに、地元民らしき人たちが待ってたんです。明らかによそいきの格好ではない、くたびれたジャンパーを羽織っているお兄さん達。余計なお世話だけども、まあ、観光客とはちょっと違っていて、近所にちょっと来たっていう感じのね。
そうか、そうだよな。ケーブルカーって観光客のものみたいな感じだけど、ここに住んでるひとたちだって乗るわな。
3人ほど乗り込んできそうだったので、ちょっとだけ詰めて座りなおしました。
ドアが開いて、お兄さん達が乗り込んできて、逆のドアを開けて、出て行った。
一瞬なんのことやら分からなかったけど、お兄さん達は、電車を、歩道橋代わりに使っていた。
ケーブルカーは単線なので、電車を通り抜けることで、向こうの岸にたどり着くことができる。
無人駅なので、まあ、お金も掛からない。
あとでこのあたりの地図を確認したら、たしかに線路をまたぐ方法が他にない。
や、ものすごく遠くに線路を超えられそうな道はあったんだけど、赤い線のような感じで電車をつっきるのが一番簡単そう。

生活に溶け込んでる風の見事な横切り、あれは毎日やっとるね。毎日数回やっとるね。
移動する、モノを運ぶ以外の電車の使い方を初めて見た。横切る。電車にそんなコマンドあるんだ。
1時間に1回、あちらの世界へ橋が掛かる。それは、生きるための架け橋。
まあ、これはこれで、電車が生活を支える一つの形なのかもしれません。
でも、この使い方、鉄道会社は把握してるんだろうか。
鉄道会社に子供からの要望が来るんだけど、
「きょうは、ひろしくんのいえまででんしゃでいきました。でんしゃのかずがすくないので、あまりよこぎれません。もっとかずをふやして、よこぎりやすくしてください」
横切るって何!
あと、このあたりの人達が、本当の目的では電車に乗ったことが無かったら面白いなあ。
ずっと昔からこの地域の人達は電車を橋として使っていて、親には「はやく渡りきらないと異世界へ連れてかれる」みたいな感じで脅されていて、それが脈々と受け継がれていたら。
ハコ様が来たらすぐに渡らないといけない。とんでもないことが起こる。知り合いの友達のお兄さんは、ハコ様の中に取り残されてしまい、遥か遠くの箱根湯本で発見された。恐ろしや恐ろしや! や、まあ、それが本来の電車の機能なんだけども。
しかも、黒い服を着たハコ様の家来に身ぐるみ剥がされた。恐ろしや恐ろしや! まあ、電車賃なんですけども。わりと高いですからね。ケーブルカー。
雷が近くに落ちた日は、ハコ様が来ない。お怒りじゃ! ハコ様はお怒りじゃ! ただの停電なんですけど。
18歳になると、若者がハコ様にさらわれていく。まあ、就職とか進学なんですけど。
何の話でしたっけ。ケーブルカーを横切る人たちね。あの、あれです。高架橋とか作ればいいんじゃないの、と思いました。
こんなのも書いたよ。
そういやこの前一人で映画を見に行ったんだけど。
あの、ポップコーン食べるじゃないですか。映画館のポップコーンてお値段もポップしてるんで、非常に買いたくないんですけど、まあでも他に買うものもないですし、という消去法でポップコーンになる。あそこにいなり寿司が250円であったら完全にそっち買うと思う。俺いなり寿司そんなに好きでもないけど、でもいなり寿司買うと思う。
あとまあ飲み物も買うとなると、ポップコーンセットみたいなセットになって売ってるわけです。ポップコーンセット! 何それ。何その危ういセット。その、何とかセットの冠は、主食だけが名乗っていいやつだよ? ポップコーンセット! 吹けば飛びそうなセット。
それくらいフワフワしたポップコーンセットを買ったんですけど、店員にポップコーンの味を聞かれまして、「塩味で」と言ったところ、塩味のポップコーンとコーラが出てきまして、お金を払いまして、館内に入って、フシャフシャとポップコーンを頬張っていたのですが、何かおかしい。おかしい。おかしいです。
ポップコーンの味は指定したけど、飲み物を指定した記憶が無い。
いや、俺が飲みたいのはコーラだったので、合ってるんだけど、でも、俺普段コーラ飲まないんですよ。でも、今日だけ、コーラにしよって思ってたの。1年ぶりくらいに飲んでもいいかなあ、みたいな感じでメニューを眺めてた。だから、合ってる。何それ。なんで分かったの?
で、いろいろ考えた結果、結論として、店員がエスパーだった、というところに落ち着きました。店員はなんとエスパーで、俺の思考を読み取ることができたのです!
や、まあ、これの反論として、ポップコーンの味はしっかりと店員に尋ねられているじゃないか、と。もしエスパーだったのなら、ポップコーンの味も当てられるのではないか。
これはねえ。多分、思いの力の違いだと思うわけ。
俺は、メニューを見て、あ、久しぶりにコーラ飲みたい! って思ってたから、その思いは簡単に伝わった。
読み取りやすかったと思う。エスパー1年生でも読み取れる、分かりやすい問題。教科書の例題みたいなやつだ。ほっぺの赤い男の子が、「コーラが飲みたいなあ」っていう吹き出しで。
一方、ポップコーンに関しては、なんだろ、ポップコーンなんかそもそも食べたくないので、無なの。無。ポップコーンは無。多分、俺の心を覗いた瞬間、どこまでも無すぎて背筋が凍ったと思う。
ポップコーンがビニール袋の中で1/3くらいこぼれてたのは、多分その震えから来てると思う。
ただまあお腹はすいてるので、ポップコーン食べ始めたら食べ始めたでこう止まらないわけで、映画始まる前にポップコーンは本当に無となり、映画はそんなに面白くなかった。
まあ、それはいいんだけど、そう。エスパー店員。オーダーの細部を聞かないエスパー的な店員の存在にはうすうす気づいていて。多くの人は心当たりがあると思う。
まあ恐らく、現場のシステム最適化が叫ばれる昨今、オーダーの時間短縮を狙って、エスパー高等学校からの推薦枠で入社された方々だと思うんだけど。
この前も、嫁と定食屋へ行ったとき、いらっしゃいました。何も聞かなかったのに、さばみそ定食を俺の前に、いろどり定食を嫁の前に置いた。
お、おお。合ってるけども。合ってるけどなんか腹立つ。なんかこういうことされると、逆のこと言いたくなる。「いや、俺がいろどり定食なんすけど」って言いたくなる。ものすごく言いたい。だって、しゃくじゃない? 聞かれなかったのに間違えないなんて!
でも、もしウソで文句を言ったとしても、それすらもエスパーに伝わるわけで、口では「申し訳ございませんでした」と言いながら、「ああ、悲しい人なんだな……」と。
それも嫌なので、まだ出来ずにいる。
あの、ポップコーン食べるじゃないですか。映画館のポップコーンてお値段もポップしてるんで、非常に買いたくないんですけど、まあでも他に買うものもないですし、という消去法でポップコーンになる。あそこにいなり寿司が250円であったら完全にそっち買うと思う。俺いなり寿司そんなに好きでもないけど、でもいなり寿司買うと思う。
あとまあ飲み物も買うとなると、ポップコーンセットみたいなセットになって売ってるわけです。ポップコーンセット! 何それ。何その危ういセット。その、何とかセットの冠は、主食だけが名乗っていいやつだよ? ポップコーンセット! 吹けば飛びそうなセット。
それくらいフワフワしたポップコーンセットを買ったんですけど、店員にポップコーンの味を聞かれまして、「塩味で」と言ったところ、塩味のポップコーンとコーラが出てきまして、お金を払いまして、館内に入って、フシャフシャとポップコーンを頬張っていたのですが、何かおかしい。おかしい。おかしいです。
ポップコーンの味は指定したけど、飲み物を指定した記憶が無い。
いや、俺が飲みたいのはコーラだったので、合ってるんだけど、でも、俺普段コーラ飲まないんですよ。でも、今日だけ、コーラにしよって思ってたの。1年ぶりくらいに飲んでもいいかなあ、みたいな感じでメニューを眺めてた。だから、合ってる。何それ。なんで分かったの?
で、いろいろ考えた結果、結論として、店員がエスパーだった、というところに落ち着きました。店員はなんとエスパーで、俺の思考を読み取ることができたのです!
や、まあ、これの反論として、ポップコーンの味はしっかりと店員に尋ねられているじゃないか、と。もしエスパーだったのなら、ポップコーンの味も当てられるのではないか。
これはねえ。多分、思いの力の違いだと思うわけ。
俺は、メニューを見て、あ、久しぶりにコーラ飲みたい! って思ってたから、その思いは簡単に伝わった。
読み取りやすかったと思う。エスパー1年生でも読み取れる、分かりやすい問題。教科書の例題みたいなやつだ。ほっぺの赤い男の子が、「コーラが飲みたいなあ」っていう吹き出しで。
一方、ポップコーンに関しては、なんだろ、ポップコーンなんかそもそも食べたくないので、無なの。無。ポップコーンは無。多分、俺の心を覗いた瞬間、どこまでも無すぎて背筋が凍ったと思う。
ポップコーンがビニール袋の中で1/3くらいこぼれてたのは、多分その震えから来てると思う。
ただまあお腹はすいてるので、ポップコーン食べ始めたら食べ始めたでこう止まらないわけで、映画始まる前にポップコーンは本当に無となり、映画はそんなに面白くなかった。
まあ、それはいいんだけど、そう。エスパー店員。オーダーの細部を聞かないエスパー的な店員の存在にはうすうす気づいていて。多くの人は心当たりがあると思う。
まあ恐らく、現場のシステム最適化が叫ばれる昨今、オーダーの時間短縮を狙って、エスパー高等学校からの推薦枠で入社された方々だと思うんだけど。
この前も、嫁と定食屋へ行ったとき、いらっしゃいました。何も聞かなかったのに、さばみそ定食を俺の前に、いろどり定食を嫁の前に置いた。
お、おお。合ってるけども。合ってるけどなんか腹立つ。なんかこういうことされると、逆のこと言いたくなる。「いや、俺がいろどり定食なんすけど」って言いたくなる。ものすごく言いたい。だって、しゃくじゃない? 聞かれなかったのに間違えないなんて!
でも、もしウソで文句を言ったとしても、それすらもエスパーに伝わるわけで、口では「申し訳ございませんでした」と言いながら、「ああ、悲しい人なんだな……」と。
それも嫌なので、まだ出来ずにいる。
15年ぶりに歯医者へ行きました。
虫歯にならない人はならないっていうのは本当にあって、まさに俺のことなんだけど、どうやってもならない。こうなったら、どんだけならないのか試したい。就寝中、パカーンって空いた口に液状チョコレートを常になみなみと注ぎ続けてもらいたい。しないけど。死ぬし。
ただまあ15年という歳月は、丁寧に歯を磨いていたとしても歯石が完全に歯間を固め尽くすには十分な時間で、口の中と外の間にガッチリと壁を作ってしまった。聖書っぽく言うと、歯石は口を外の世界と中の世界に分けてしまわれた。
しかし、世界を分けたからといって特に不自由は無い。
むしろ好都合なこともあるかもしれない。
俺は昔、下の前歯がなんとなくグラついていたんだけど、今、そのグラつきって無い。
で、その理由って、もしかして、歯石さんたちがガッチリと歯を固定しているからなのでは、という持論がありましてですね。いや、歯医者にこれを言ったら、はあ? とバカにされるんで絶対言わないですけど、言わないですけど、そういう自分だけ分かる変な持論あるじゃないですか。
うちの父親は腹式呼吸をすると腹痛が治る、という持論があって。
まあ、よく腹痛になるので、そのなかであみ出した自分の方法なんだと思います。
昔、父親の腹の痛がり方が尋常じゃないので救急車を呼んだことがあります。
まあ全然大丈夫だったんですけど、その時に、医者に「いやあ、腹式呼吸をしても全然治らなくてですね」とか言ってて、医者は「はあ」みたいな。
父親は、あれ、通じなかったのかな? みたいな感じで、「腹式呼吸は何回もやったんですけどね、治らなくて救急車呼んじゃいました」「はあ」みたいな。
いや、全面的に医者が正しいぞ。
民間療法よりもタチの悪い個人療法。そんなものを医者に言ったところで、「はあ」という顔をされる。
絶対に持論は他人に言うまい、と。
で、そう。俺の歯の話にもどりますと、歯石によって我が歯はカッチリ立っている、沖ノ鳥島状態であることは俺だけのヒミツ。
そういう持論もあって、歯石問題については目をつぶったまま、15年の歳月が流れたのでございます。
気になりだしたのは、最近食後になんか歯がしみたこと。
いや、知覚過敏ってほどでは無いと思うんだけど、まあー、そういや、そろそろ歯周病みたいなのも気になる年頃であるわけです。
で、何気なくネットで検索した歯周病の悲惨さ。
あと歯石を溜めることの恐怖。歯石が歯肉の中にまでつきはじめると、歯肉を一旦ぺろんとめくって除去しなければならないとか言ってて、ギャン! と飛び上がり、着地までに当日予約完了した。口内のベルリンの壁が崩壊した瞬間でした。
歯医者で待つ。
歯医者って怖い場所、という認識はあるんだけど、15年も行ってないと、その感情も完全に麻痺しているので、ものすごく自然体。こんな温和な患者見たことない! 麻酔なしで華佗に治療される関羽か俺かだ。
で、呼ばれまして、歯科助手さんに早速変な尖った器具でガリガリやられるんですけど、歯肉と歯の僅かな隙間、ギリギリのところに、ものすごい速度でスッと器具が当てられる。え、ちょっと、もっと繊細に! スポーツカーみたく扱ってえ! ブロロロローン!
すごく神経質な作業なので、患部に当たる瞬間は、ものすごく丁寧に当ててくれるものだと予想してた。
現実は違った。器具を当てる思い切りの良さといったら、流れ来るクリームパンに卵黄を塗る人のそれと同じ。等速にポンポンと器具を当て、キーンキーンガリガリと削っていく。大丈夫か。
それともこの人はハンダ付けの名人のように、瞬時に器具を患部に当てられる特殊能力を持っているのか。
いや、それは無い、だって、対象は、俺、人間だもの。人間は動く。人間は動くのである。動物だから動く。それも、逃げるように動く。熟練工といえども、小刻みに逃げる基板に高速でハンダ付けできるものか。
何なんだ、と。この粗雑さは何なんだ、とずっと考えてたんですけど、出た結論としては、多分、歯と歯茎の間って、実はそんなに神経質になる部分ではなくて、ちょっとうっかり手がすべって血が出てもどうってことないんだろう。
分かっている人ほど、粗雑に扱うように見えることってある。
例えばコンタクトをしている人は、普通に指を目に入れることができて、白目は触ってもまあ大丈夫なことを体感で知ってる。でも、コンタクト未経験者の嫁に、「白目ってば触っても大丈夫なんだよ」とか言うと、「フギャアアアゴウ!」とか未体験の声を上げる。
これはひとえに、コンタクト未経験者の無知がそうさせている。
無知は、できることの範囲を狭め、何かを神格化し、恐れを連れてくる。
粗雑に扱っているのではなく、俺が無知なだけなんだ。
なるほどそうと分かる至極気が楽になって、心が定まった。
キーンキーンガリガリガリ、という音の後ろで、遠くから寺の鐘の音が聴こえてくる。
多分ブッダが歯科治療したらこんな感じ。歯茎から血がだらだら出ているのにすっごい穏やか!
やり残した部分があるので次週また来るように言われました。
次週は院長先生がやってくれました。
全然血が出ない。コラア!!!!
虫歯にならない人はならないっていうのは本当にあって、まさに俺のことなんだけど、どうやってもならない。こうなったら、どんだけならないのか試したい。就寝中、パカーンって空いた口に液状チョコレートを常になみなみと注ぎ続けてもらいたい。しないけど。死ぬし。
ただまあ15年という歳月は、丁寧に歯を磨いていたとしても歯石が完全に歯間を固め尽くすには十分な時間で、口の中と外の間にガッチリと壁を作ってしまった。聖書っぽく言うと、歯石は口を外の世界と中の世界に分けてしまわれた。
しかし、世界を分けたからといって特に不自由は無い。
むしろ好都合なこともあるかもしれない。
俺は昔、下の前歯がなんとなくグラついていたんだけど、今、そのグラつきって無い。
で、その理由って、もしかして、歯石さんたちがガッチリと歯を固定しているからなのでは、という持論がありましてですね。いや、歯医者にこれを言ったら、はあ? とバカにされるんで絶対言わないですけど、言わないですけど、そういう自分だけ分かる変な持論あるじゃないですか。
うちの父親は腹式呼吸をすると腹痛が治る、という持論があって。
まあ、よく腹痛になるので、そのなかであみ出した自分の方法なんだと思います。
昔、父親の腹の痛がり方が尋常じゃないので救急車を呼んだことがあります。
まあ全然大丈夫だったんですけど、その時に、医者に「いやあ、腹式呼吸をしても全然治らなくてですね」とか言ってて、医者は「はあ」みたいな。
父親は、あれ、通じなかったのかな? みたいな感じで、「腹式呼吸は何回もやったんですけどね、治らなくて救急車呼んじゃいました」「はあ」みたいな。
いや、全面的に医者が正しいぞ。
民間療法よりもタチの悪い個人療法。そんなものを医者に言ったところで、「はあ」という顔をされる。
絶対に持論は他人に言うまい、と。
で、そう。俺の歯の話にもどりますと、歯石によって我が歯はカッチリ立っている、沖ノ鳥島状態であることは俺だけのヒミツ。
そういう持論もあって、歯石問題については目をつぶったまま、15年の歳月が流れたのでございます。
気になりだしたのは、最近食後になんか歯がしみたこと。
いや、知覚過敏ってほどでは無いと思うんだけど、まあー、そういや、そろそろ歯周病みたいなのも気になる年頃であるわけです。
で、何気なくネットで検索した歯周病の悲惨さ。
あと歯石を溜めることの恐怖。歯石が歯肉の中にまでつきはじめると、歯肉を一旦ぺろんとめくって除去しなければならないとか言ってて、ギャン! と飛び上がり、着地までに当日予約完了した。口内のベルリンの壁が崩壊した瞬間でした。
歯医者で待つ。
歯医者って怖い場所、という認識はあるんだけど、15年も行ってないと、その感情も完全に麻痺しているので、ものすごく自然体。こんな温和な患者見たことない! 麻酔なしで華佗に治療される関羽か俺かだ。
で、呼ばれまして、歯科助手さんに早速変な尖った器具でガリガリやられるんですけど、歯肉と歯の僅かな隙間、ギリギリのところに、ものすごい速度でスッと器具が当てられる。え、ちょっと、もっと繊細に! スポーツカーみたく扱ってえ! ブロロロローン!
すごく神経質な作業なので、患部に当たる瞬間は、ものすごく丁寧に当ててくれるものだと予想してた。
現実は違った。器具を当てる思い切りの良さといったら、流れ来るクリームパンに卵黄を塗る人のそれと同じ。等速にポンポンと器具を当て、キーンキーンガリガリと削っていく。大丈夫か。
それともこの人はハンダ付けの名人のように、瞬時に器具を患部に当てられる特殊能力を持っているのか。
いや、それは無い、だって、対象は、俺、人間だもの。人間は動く。人間は動くのである。動物だから動く。それも、逃げるように動く。熟練工といえども、小刻みに逃げる基板に高速でハンダ付けできるものか。
何なんだ、と。この粗雑さは何なんだ、とずっと考えてたんですけど、出た結論としては、多分、歯と歯茎の間って、実はそんなに神経質になる部分ではなくて、ちょっとうっかり手がすべって血が出てもどうってことないんだろう。
分かっている人ほど、粗雑に扱うように見えることってある。
例えばコンタクトをしている人は、普通に指を目に入れることができて、白目は触ってもまあ大丈夫なことを体感で知ってる。でも、コンタクト未経験者の嫁に、「白目ってば触っても大丈夫なんだよ」とか言うと、「フギャアアアゴウ!」とか未体験の声を上げる。
これはひとえに、コンタクト未経験者の無知がそうさせている。
無知は、できることの範囲を狭め、何かを神格化し、恐れを連れてくる。
粗雑に扱っているのではなく、俺が無知なだけなんだ。
なるほどそうと分かる至極気が楽になって、心が定まった。
キーンキーンガリガリガリ、という音の後ろで、遠くから寺の鐘の音が聴こえてくる。
多分ブッダが歯科治療したらこんな感じ。歯茎から血がだらだら出ているのにすっごい穏やか!
やり残した部分があるので次週また来るように言われました。
次週は院長先生がやってくれました。
全然血が出ない。コラア!!!!
昔、よくしていただいてたコピーライターに言われてガツンときた言葉。
「キャッチフレーズつけるってことは、商品に魅力が無いんだろ? 既にちょい負けてんのな」
学生時代、イベントのフライヤーを作る仕事をもらって。
すっげえかっこいいキャッチフレーズを思いついちゃって、主催者もこれでいいっていうから、ほくほくしてたくさん刷ったんだけど、うっかりプロに見せたところこれを言われて、めちゃんこ恥ずかしくなった。
そのイベントは、大学生がパフォーマーとして演奏やダンスをはじめ、紙をやぶるだけとかよくわかんないパフォーマンスをノンジャンルで披露するっていう新しいイベントだったので、そこに十分ニュース性があった。だから、イベント名と「初」ってところを押すだけでよかったんだ。それが一番伝えたい事であったはずだった。
それなのに、変なキャッチフレーズをバーンと乗っけたことで、そのフライヤーが醸しだす世界がなんだかよく分からん感じになってることに、言われて初めて気づいた。キャッチフレーズバーン! のところから、汚泥がどろどろと流れている。出演者がアップアップしてる。くさいよう、くさいよう!
言われてみれば、商品が伝わりやすいものだったら、キャッチフレーズってまったくもって要らないよな。
まずは企画ありきで、その企画が新しければ、そこをストレートに押すだけで良い。
でも、なんとなく素人の我々は、なんかキャッチフレーズは作らなければいけないもの、みたいなアレがあって。
形から入るときって、そういう、よくわかんないけど真似しちゃうものってある。
文化祭で占いの店を出したときに、うっかりポイントカード作っちゃった。
いやなんか。喫茶店のカードを真似してカードを作ってたら、裏にハンコ押す欄があって、それごと真似しちゃった。
よく考えたらハンコ欄要らない。非常に要らない。次押すの来年になる。あと来年この学校に居ない。
「キャッチフレーズつけるってことは、商品に魅力が無いんだろ? 既にちょい負けてんのな」
学生時代、イベントのフライヤーを作る仕事をもらって。
すっげえかっこいいキャッチフレーズを思いついちゃって、主催者もこれでいいっていうから、ほくほくしてたくさん刷ったんだけど、うっかりプロに見せたところこれを言われて、めちゃんこ恥ずかしくなった。
そのイベントは、大学生がパフォーマーとして演奏やダンスをはじめ、紙をやぶるだけとかよくわかんないパフォーマンスをノンジャンルで披露するっていう新しいイベントだったので、そこに十分ニュース性があった。だから、イベント名と「初」ってところを押すだけでよかったんだ。それが一番伝えたい事であったはずだった。
それなのに、変なキャッチフレーズをバーンと乗っけたことで、そのフライヤーが醸しだす世界がなんだかよく分からん感じになってることに、言われて初めて気づいた。キャッチフレーズバーン! のところから、汚泥がどろどろと流れている。出演者がアップアップしてる。くさいよう、くさいよう!
言われてみれば、商品が伝わりやすいものだったら、キャッチフレーズってまったくもって要らないよな。
まずは企画ありきで、その企画が新しければ、そこをストレートに押すだけで良い。
でも、なんとなく素人の我々は、なんかキャッチフレーズは作らなければいけないもの、みたいなアレがあって。
形から入るときって、そういう、よくわかんないけど真似しちゃうものってある。
文化祭で占いの店を出したときに、うっかりポイントカード作っちゃった。
いやなんか。喫茶店のカードを真似してカードを作ってたら、裏にハンコ押す欄があって、それごと真似しちゃった。
よく考えたらハンコ欄要らない。非常に要らない。次押すの来年になる。あと来年この学校に居ない。
こんなのも書いたよ。