2012-02-22   思考  
風邪をひいた。

お腹痛いので、胃腸風邪といわれるやつかもしれない。
ただまあ、こういう日に限って会議が2個も入っているわけで、あれですよ、先週はハサミで紙をどこまで小さく出来るか、みたいなことをずーっとやってたのに。こういうときに風邪になればいいのに。
でまあ、うつったらゴメン! と思いつつ、風邪薬をガバガバ飲んで、マスクして出かけたわけです。

で、2個目の会議行ったら、3人全員マスクしてるの。

「あ、風邪ですか?」
「そうなんすよ。咳が止まらなくて」
「そうなんすか。僕あれですよ。おなかめちゃくちゃ痛いですよ」

どうやら3人それぞれが違う風邪を引いてるっぽい。
ということは、気を抜くと、別の風邪をもらう可能性がある。やだなー。

ただまあ、今俺が引いてる風邪は多分けっこう強い。肌で感じる強さ、みたいなのあるじゃないですか。ゾクッとする。よほど高等な人間から貰った風邪なのだろう。
これだけ強いと、隣の人の風邪が俺にちょっかい出そうとしたら「これは俺の獲物だ……ひねり潰されたいのか?」みたいなこと言ってる可能性がある。

なんか、そう考えると胃腸風邪がちょっと頼もしい。うしおととらみたい。
目に見えないところで、風邪を携えた者同士の戦いが始まっている。行くぞ! 胃腸風邪! 俺とお前のコンビならきっとやれるさ!

隣の弱小風邪は完全に抑えたとして、正面の風邪。完全に目が死んでる。コントロールされているのか? 見るからに、別格。格が違う。

「気をつけろ……こいつ、強いぞ!」
胃腸風邪から初めて聞くネガティブな言葉。胃腸風邪のこんな姿は見たことがない。
正面が口を開ける。

「来るぞッ!」
構える。

「すいません、みなさん体調悪いみたいなんで、今日ちゃちゃっと終わりにしません?」

賛成でーす。
あと、次の日病院行ったらインフルでした。最強!

こんなのも書いたよ。




2012-01-23   思考  
昨年末、横浜の電車内で流れてたCM。
県知事が「神奈川県のひったくり事件の件数がワースト1になりました!」みたいなこと言ってるCMなんだけど。

2011年前半のワースト1が神奈川だったらしく、後半はなんとしてもそれは避けたい、みたいな感じで流してたと思うんですけど、その内容が、まあ、あたりまえなんだけど、「カバンを守ろう」みたいなやつなのね。「ひったくりからカバンを守る方法」を、啓蒙するCMなのね。え、何その、「クマから身を守る方法」みたいなの。ひったくり犯が、クマみたいな、居るのが当然みたいな扱いになってるの。つかまえてくれよ。クマはさあ、絶滅させるといろいろ問題だからあれだけど、こっちは絶滅させていいやつだよ。

ただまあ、その、対処療法的な作戦も分からんでもない。ひったくりとかってかなり検挙率低いよね。俺もリアルで見たことあるんだけど、これは捕まらんよなーって思った。や、ほんと、ひどい話ですよ。でも、実際問題、こういうことがある。

悪い人が一定数居て、ひったくりがつかまりにくい以上、ひったくりは無くならないのである。
もう、こうなったら、この状況を楽しむしかないのではないでしょうか。

ひったくりといえば大阪のイメージがありますが、これは本当で、大阪の一強体制がもう数十年も続いていました。しかし2010年、突然千葉が王位を奪取。これは奇跡か、はたまた時代が動いたのか、という外野のざわめきを他所に、2011年の前期王者の座はまたもや関東勢の神奈川がさらっていくという、こう、いったんひったくりであることを忘れて何かのスポーツだと思って聞くと、今非常にアツい感じになっています。高校野球とかが好きな人は、多分こっちも楽しめるんじゃないでしょうか。
冬は寒くてひったくりには適さないとされている北海道に優勝旗が渡った日には、みんな泣くでしょ。夏に燃えるような努力をした成果です。子供に聞かせてやりたい。

各県の特色にも注目です。歩行者の詳細なデータを蓄積して成功率を極限まで高めるITひったくりや、選手の個性にまかせるのびのびひったくり。いろいろなスタイルで虎視眈々とかばんを狙い、そして優勝を狙います。
俺も神奈川サポーターとして、いつも両肩に100万円ずつ乗せて歩いています。勝利をひったくれ! 神奈川!

で、そのうちほんとにスポーツか何かに昇華させてしまうのはどうでしょう。
守備側は、ボールを抱えて、障害物だらけのコートの端から端まで走る。攻撃側は自転車に乗って、あの手この手でそのボールを奪う。
ひったくり犯をつかまえて、「お前、良い筋してるな。ヒッタクリーやらないか」みたいな感じで結成されたワルばっかりのヒッタクリーチームがあれよあれよとオリンピックで優勝するのとか見たい。
そのうち、ひったくりやるより、ヒッタクリーで日本代表を目指すほうがかっこいい、みたいになって、ひったくりが無くなったらいい。

何言ってんのか自分でも分かんなくなってきたんですけど、あの、結局2011年は、大阪が総合優勝、2位は東京、神奈川は3位でした。大阪強い。あとひったくりはダメ!






2011-12-26   思考  
冷房の設定温度と室温が一緒になった試しがない。
設定温度ってなんだろうね。や、まあ、フィードバック制御で温度の調節って難しいんだぜ、みたいな話はおいといて、何だろね、って思う。

必ずずれているので、使う人間が、機械がずれてる感じを計算して「じゃあえっと、室温25度くらいにするために28度に設定しますね」みたいなことになるわけなんですけど、あのー、もう慣れすぎて全然疑問に思わなかったんですけど、よく考えるとおかしい。じゃあ設定温度をさ、最初から3度ずらしておけばいいじゃん。25度にしたいのに28度に設定するとか、もうそういうのやだ! 心と体が離れてしまいそう!
何だろ、そもそもメーカーの実験室ではそれでバチッと合ってたんだろうか。
そんだけ狂ってるメーカーの実験室見てみたい。実験中、暇だからってほかの部署の奴とか呼んでみんなでギュウギュウになってアッツアツの鍋でも食ってたんじゃなかろうか。

やー、まあ、あれですよ。メーカーの言い分は分かりますよ。
まず部屋の広さが各家庭で違う。すきま風とかも入ってくるかもしれない。あと、サーキュレーターとかで空気かくはんして均一にしてくれないとちゃんと温度測れないし、その不確かな温度をもとに風の量とか計算するからおかしくなっちゃう。そういうことでしょ。

じゃあ、オーブンはどうなのよ。
家庭用のオーブンも、設定温度と内部の温度はかなりずれてるらしい。
オーブンはさ、お前がつくった部屋をお前の裁量で温めてるわけだからね。なんでこれでずれてんの?

オーブンの温度のずれは、ものすごく面倒な事態を引き起こす。
例えば 「200度で10分焼きます」みたいなレシピがあったとして、そのレシピを書いた人は、いったいどの「温度」を書いたんだろう。

クックパッドにちょいっと載せたくらいのレシピの場合、なんとなーく、オーブンの設定値をそのまま書いてそうだし、料理研究家のレシピとかだと、わざわざオーブン用の温度計で測って、正確な庫内の温度を書いていそう。

嫁が行ってたパン教室では、「家でつくるときはオーブンの温度はレシピに書いてあるやつから30度くらい上げてください」って言ってたらしい。これは、レシピには正確な温度が書いてあるパターンだ。

解釈によって、温度が全然違う。
もしかして、世にまずい料理が生まれてしまう理由の一つがこれかもしれない。

っていうか、レシピ配って「オーブンの温度はレシピに書いてあるやつから30度くらい上げてください」とか言うんだったら、最初から30度たしとけばいいじゃん、とか思う。
もういっそのこと、レシピ界では温度に「オーブンの設定温度」を書く、ということでみんなで合意したらどうだろう。
そうすれば、レシピに「200度で」と書かれていたら、オーブンの設定を200度にすれば良いだけで簡単。庫内は230度かもしれないけれど、これは知る必要は無い。

ただ、これにはひとつだけ条件があって、各メーカー、みんなで30度ずつ、ずれなければならない。
難しいことは言ってない。今までどおり、ずれてくれればいいんだ。

とか思ってたら、どうやら値段の高いオーブンは、わりと設定温度と内部の温度が合ってるらしい。
もうー! やめてー! 抜け駆けはやめてー! 一人だけずるい! みんなで補習受けるって約束したじゃーん!






2011-12-05   思考  
地下鉄を降りて、階段を昇って、駅の正面のコンビニに寄る。

この街で働き始めてちょうど1年くらい経ったけど、毎日同じ動作をしている。ここが草原だったら完全にけもの道が出来てる。コンビニの中にも出来てる。コーヒーの棚のところへくいっと曲って、甘いパンの前でこう何回か行き来するのでそこは全体的にうすーく草が無くなってて。

それは良いわ。草原じゃないし。コンクリートジャングルですし。
あのー、コンビニがね、昨日はなぜかちょっと混んでた。
まあ、午前中別の場所で用事を済ませてから来たので、正午、ちょうど昼食の時間でね。

まあ、住宅街にぽつんとあるオフィスなので、混み方は都心と比べたら穏やかなもので、怒り方で例えるなら、都心のそれが「死んで詫びろ」みたいな感じならば、こっちの混み方は一口多く食べた彼女に「あ、コラッ」みたいな感じ。可愛い可愛い。可愛い混み方。で、その列の最後尾についたんです。可愛い混み方とデートしたわけです。

前には3人待ってました(可愛いでしょ!)。
で、まあ、すぐ前のおばあちゃんとおばちゃんのハイブリッドみたいな人の番になったんですけど、これがあの、ホットスナックって言うんですか。あのレジ脇のチキンみたいなやつをなんかやたら買い込むんですよ。ただあのよく分かってないので、いちいち店員に、「これは骨があるの?」だことの、「これは辛いの?」「どれくらい辛いの?」だことの聞いて。多分、家に人がいっぱい来てて、なんでもいいから人数分買おうとしてる感じの。「あじゃあ辛いのやめて、肉まんにするわ」「えー!」みたいな。俺「えー!」って言っちゃったかもしれない。

ときに、レジの待ち時間は、以下の式で決まる。
Σ 店員のレジ打ち速度 × i番目の客の品数 + お金のやりとりに掛かる時間(定数) + i番目の客のめんどくさい時間

掛け算に現れる項は品数であるので、普段は品数が一番効いてくる。スーパーでどこに並ぶかを考えるときは、人の数を数えるより、並んでる人たちが持ってる品数の総和(と店員が見習い期間じゃないかどうか)を見たほうが良いと思う。

一方で、コンビニとか、一人当たりの品数が少ないときは、こちらはあまり関係なくなって、「客のめんどくさい時間」が最大限に効いてくる。
だから、コンビニでめんどくさいことをすると最悪である。一人のめんどくさい客が、ぐいぐいぐいぐい待ち時間を押し上げるのである。

そんなことをもやもや考えながら待っていると、おばあちゃんがホカホカの肉まんを持ってホカホカと出ていって、店員が、「お待たせ致しましたー!」
ほら。「お待たせ致しましたー」が出ましたよ。これが出たときは、あれだよ、前の人は自覚するべきだよ。自分がお待たせの根源であることを。妖怪オマタであることを。

レジの前に到達した俺は持っていた甘いパンを裏返して差し出す。それをバーコードがピッ。ここですよ。こういうことですよ。店員のレジ打ち速度は、客との連携でも向上する。前の客のロスは、俺が取り戻す!!! 両隣のレジをごぼう抜きじゃーい!

コーヒーと甘いパンで、230円。
お金を出そうとしたのですが、あのー、思い出しまして。請求書をね、今日中に送らないといけないやつが1個あって。請求書送らないと、俺お金もらえないですから。今後甘いパン買えないですから、すぐに請求書を送らないといけない。
請求書を送るには切手を貼らなければいけない。したがって、切手を買わなければいけない。

「えっと、80円切手……」

まで言ったんですけど、あれ、80円で良かったっけ、ってなって。
というのも、前書いたかもですけど、俺普段は郵便物は郵便局にわざわざ行って出してるんです。だから、なんだろ、局員さんに封筒の重さ計ってもらって、言われるがままにお金を払ってるので、封書の値段が定かではない。

「あの、普通の封書って、80円で良いんでしたっけ」

まさかの店員に聞くパターン。

「ちょ、ちょっとお待ちください」

隣のレジの人に聞いてる。隣の人はめんどくさそうに「大抵80円じゃないの、知らない」
ごめん、ほんとごめん。多分80円だわ。いや、90%そうだと思ったんだけど、残りの10%を埋めたいエゴで余計なことをしてしまった。

「あ、あのすいません80円切手買います!」

「重さによるんだっけ」「えー」とかフワフワした店員同士の会話を強引に断ち切る。

めんどくさい時間を使ってしまった。これを取り戻すには店員が戻る間に310円。310円を先に用意する! これでさっきのロスをリカバリする! あ、無いわ。

「あ、あの、えっと、10000円から……で……」


とぼとぼと店を出る俺の後ろで、「大変お待たせ致しましたー!」と聞こえてきた。







2011-09-02   思考  
西洋科学が発達してからこっちは、いろいろな現象から、真理の上澄みを取り出すことが重要視されてきました。

例えば、フルーツを食べていない軍隊の下級兵士ばかりが病気にかかることから、フルーツの中に含まれるビタミンCを見つけ出すような。
「フルーツ食えフルーツ」と言えば収まるところを、「ビタミンC」というモノを見つけずにはいられないこの衝動。

こういう考えは、もう既に僕らの行動基準に無意識のうちに食い込んできていて、何かあると、最小の原理原則を抽出したくなるわけです。

息子の前で歌を歌うとニコニコするようになりました。
生まれてすぐはまったく無反応であったものがニコニコするようになるというのはものすごくうれしいことなので、何回も何回もやってしまうのですが、そのうち、これは何に対してニコニコしているのか、ニコニコのスイッチは何なのか、という、最小単位を知りたくなるわけです。

そこで、「歌だけ」「リズムにあわせて身体をゆらすだけ」「微笑むだけ」みたいな、パーツに分けて当たってみたところ、リズムに合わせて身体をゆらすだけで、ニコニコすることが分かりました。

え、じゃあ、もしかして身体じゃなくてもいいのか、ということで、手を振り子のようにぶらぶらさせたところ、ニコニコする。
え、じゃあ、手じゃなくていいのか、ということで、棒切れをベッドの下からにょきっと出してぷんぷん振ってみたところ、なんとニコニコする。

これか。
これで笑うのなら、この笑いは自動化できる。メトロノームとか。多分メトロノームだけでこの子はニコニコ笑う。

分かった途端に、なんか悲しくなりました。それで、いいんだ……

多分フルーツもこんな気持ちなんだろう。
ビタミンの錠剤をガバガバ食べてる人類をこんな気持ちで見てるんだ。「あ、そう、それでいいんだ、へーえ!」みたいな。
「いっとくけど、あたしら、ビタミンだけじゃないかんね! その、なんか、食感とか! めっちゃいいかんね! あとなんか、季節感とかあるし。なんだいなんだい、ボリボリ食いやがって! リスか!」みたいな感じで、プリップリしながら見てる。木の上から、プリップリして見てる。そんなプリプリフルーツが、今、すごく愛しい。分かる、分かるよ。すごーく分かるよ!!!

ただまあ実際のところ、錠剤飲むよりフルーツ食べたほうがいろいろ総じて良いことは医者も認めているとことだと思う。
結局、フルーツを食べるとか、歌を歌うとかは、いろいろなものが作用している複雑系なわけで、その最小単位の効果が分かったからといって、それがすべてという証明にはならない。

だから、歌を歌うことはいいこと。
俺は息子の前で今日も歌を歌う。それでは聞いてください。ぞうさん。

ぞうさん ぞうさん
お鼻が 長いのね
長いですか? 自分的にはそうでも無いと思っていますが。あっこれは謙遜とかじゃなくて、ムグッ、そう取られたら逆に僕が自意識過剰みたいな感じになるじゃないですか、そういう意味じゃなくて、例えば蚊の口器は身体と同じ長さなわけで、それから考えると我々の鼻はそこまで長いと呼べるものじゃないですよね。蚊はお口が長いのね、みたいな歌あります? ブホッ、無いんですか? 何で無いんですか? え、象の歌つくっといて、なんで無いんですか? それからもう一つ例を挙げますと、身体と鼻の長さの比で言ったらアリクイ。アリクイの鼻柱とアリクイの体の比は、象のそれより大きい、こちらのほうが鼻が長いということになりますよね? アリクイの歌ありますか? ボッホ〜! 無いんですか!? あともうちょっと言いますと、鼻が長そうだという視覚的情報や、象は鼻が長いという伝聞からの脳停止発言は自分を貶めるだけかと思いますが。なんかそういう事実を客観視できていない発言を見ると萎えるんですよね。これはあなた全体の否定ではなく、その着想について老婆心からご忠告申し上げているわけで。あ、わかりづらいですか? 僕の話長いですか? 母さんはもっと長いですよ?
そうよ 母さんも 長いのよ






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