去年、文響社のうんこ漢字ドリルがものすごく売れた。
例文が全部子供が大好きなうんこ絡み、というアレです。
まあー、うんこ面白いっていう気持ちをやる気に変換できるなら、廃棄油で走る車、みたいな感じで、すごくエコですよね。とても良い化学変化だと思います。
ところで、最近電車内の広告で「まいにちおならで漢字ドリル」というのを頻繁に見かけるようになりました。それはもう頻繁に。
出版は水王舎で、これはまあ、言ってみれば見事な二匹目のドジョウ狙いだと思いますし、ウッカリ間違えて買う人も居るんじゃないかレベルのやつだと思うのですが、うんこからスケールが小さくなっているのが気になるところです。あちらは出ているのに、こちらは出てないですからね。
ところで、もっと前にうんこを学習の場に持ち込んだのはカヤックで、2011年に「うんこ演算」というアプリを出しています。最近はUN高というサービスをリリースして、うんこを我が手に取り戻そうとしているかのようです。
いずれにせよ、こんな競争がはじまる世界は完全に狂ってるんですけど。
そんなこんなで。
先日、妻が突然「うんこ漢字ドリル買ったほうがいいのかな」と言ってきたのでした。
妻が言うには最近本屋へ行くと、うんこ漢字ドリルが平積みになっているそう。
どの本屋へ行っても積まれていて、そのうちなんだか、買わないといけないような気になってきたと。見過ぎて。うんこ見過ぎて。
ときに、うちの6歳は、タブレット講座みたいなやつにめちゃくちゃハマっているので、いまのところうんこの力を借りずとも漢字をやっているし、そもそもうんこで特に笑ったことない。うんこがツボじゃない奴にうんこ漢字ドリルやらせてどうすんだよ! ただの不潔なドリルになるじゃん。勉強嫌いになっちゃうじゃん。
ところでちょっと思ったのは、うんこ漢字ドリル、それだけ平積みになっていたら、結構な人数が、うんこをしていることになる。いやうんこは全員してるんだけど、あ、アイドルはうんこしないんだけど、うんこ漢字ドリルを、アイドル含めけっこうな人数がしていることになる。
うんこ漢字ドリルってのは、この世代を代表するアイテムの一つになるのではなかろうか。大人になってから、「うんこ漢字ドリルってあったよな」「うわーあったわー」とか、うんこ漢字ドリルの有名な例文を知っている前提でボケるようなハイコンテクストなやりとりが、なされるのではないか。
僕らアラフォー世代で言うと、多分これはファミコンに相当する。スーパーマリオ、といえば大抵の人は思い浮かべることができるし、知っている前提のコンテンツも多い。
でもたまに「いやー、俺あんまり任天堂知らないんだ。うち、セガだったから」みたいな奴が居て、それはそれで「おっマイケルジャクソンズムーンウォーカー」とか話は膨らむ。たまに異分子が居るから面白い。
なぜ任天堂を選ばなかったのか、みたいな話も大体面白い。
好きなゲームがあった、みたいな能動的な話でもいいけど、「親戚から貰った」「親が間違えて買ってきた」みたいな受動的な理由は哀愁があって良い。
うんこ漢字ドリルに立ち返ると、たとえば将来こんな会話がなされる。
「いやー、俺あんまりうんこのこと知らないんだ。うち、おなら派だったから」
「え? なんでおならにしたの?」
「親が、ブツはダメだけど、ガスならギリ良いって買ってくれた」
「ガスなら良い……」
そう考えると、おなら漢字ドリルは、今の子供全員がうんこにまみれないように生まれた必然のような気もしてくる。必然ガスのような気がしてくる。おなら漢字ドリルはセガのように、うんこの山に挑んで欲しい。
以降10年、次々に不潔なドリルが出版されると思う。
そのあと反動で「高山植物漢字ドリル」みたいなやつが流行る。
例文が全部子供が大好きなうんこ絡み、というアレです。
まあー、うんこ面白いっていう気持ちをやる気に変換できるなら、廃棄油で走る車、みたいな感じで、すごくエコですよね。とても良い化学変化だと思います。
ところで、最近電車内の広告で「まいにちおならで漢字ドリル」というのを頻繁に見かけるようになりました。それはもう頻繁に。
出版は水王舎で、これはまあ、言ってみれば見事な二匹目のドジョウ狙いだと思いますし、ウッカリ間違えて買う人も居るんじゃないかレベルのやつだと思うのですが、うんこからスケールが小さくなっているのが気になるところです。あちらは出ているのに、こちらは出てないですからね。
ところで、もっと前にうんこを学習の場に持ち込んだのはカヤックで、2011年に「うんこ演算」というアプリを出しています。最近はUN高というサービスをリリースして、うんこを我が手に取り戻そうとしているかのようです。
いずれにせよ、こんな競争がはじまる世界は完全に狂ってるんですけど。
そんなこんなで。
先日、妻が突然「うんこ漢字ドリル買ったほうがいいのかな」と言ってきたのでした。
妻が言うには最近本屋へ行くと、うんこ漢字ドリルが平積みになっているそう。
どの本屋へ行っても積まれていて、そのうちなんだか、買わないといけないような気になってきたと。見過ぎて。うんこ見過ぎて。
ときに、うちの6歳は、タブレット講座みたいなやつにめちゃくちゃハマっているので、いまのところうんこの力を借りずとも漢字をやっているし、そもそもうんこで特に笑ったことない。うんこがツボじゃない奴にうんこ漢字ドリルやらせてどうすんだよ! ただの不潔なドリルになるじゃん。勉強嫌いになっちゃうじゃん。
ところでちょっと思ったのは、うんこ漢字ドリル、それだけ平積みになっていたら、結構な人数が、うんこをしていることになる。いやうんこは全員してるんだけど、あ、アイドルはうんこしないんだけど、うんこ漢字ドリルを、アイドル含めけっこうな人数がしていることになる。
うんこ漢字ドリルってのは、この世代を代表するアイテムの一つになるのではなかろうか。大人になってから、「うんこ漢字ドリルってあったよな」「うわーあったわー」とか、うんこ漢字ドリルの有名な例文を知っている前提でボケるようなハイコンテクストなやりとりが、なされるのではないか。
僕らアラフォー世代で言うと、多分これはファミコンに相当する。スーパーマリオ、といえば大抵の人は思い浮かべることができるし、知っている前提のコンテンツも多い。
でもたまに「いやー、俺あんまり任天堂知らないんだ。うち、セガだったから」みたいな奴が居て、それはそれで「おっマイケルジャクソンズムーンウォーカー」とか話は膨らむ。たまに異分子が居るから面白い。
なぜ任天堂を選ばなかったのか、みたいな話も大体面白い。
好きなゲームがあった、みたいな能動的な話でもいいけど、「親戚から貰った」「親が間違えて買ってきた」みたいな受動的な理由は哀愁があって良い。
うんこ漢字ドリルに立ち返ると、たとえば将来こんな会話がなされる。
「いやー、俺あんまりうんこのこと知らないんだ。うち、おなら派だったから」
「え? なんでおならにしたの?」
「親が、ブツはダメだけど、ガスならギリ良いって買ってくれた」
「ガスなら良い……」
そう考えると、おなら漢字ドリルは、今の子供全員がうんこにまみれないように生まれた必然のような気もしてくる。必然ガスのような気がしてくる。おなら漢字ドリルはセガのように、うんこの山に挑んで欲しい。
以降10年、次々に不潔なドリルが出版されると思う。
そのあと反動で「高山植物漢字ドリル」みたいなやつが流行る。