2008-03-17   思考  
 自分では全然意識していなかったんだけど、俺、歩くの好きだわ。

 思い返してみれば、以前京急戸部駅の真横に住んでたことがあって、あの、会社へ行くときは急いでるんで戸部で乗るんだけど、帰り、戸部で降りたことほとんど無かったなあ。大体隣の横浜駅から歩いて帰ってた。なんでそんなことやってたんだろう、と最近考えたんだけど、たぶん何も考えて無かった。健康のためとか、運動不足を解消するためとか、いろいろ理由はつけていたような気がするけど、でもそれだけだったら多分あんなに続かない。むしろ自分の歩く欲を満たすため、みたいな、なんというか煩悩的なところでやっていた気がして。
 そう表現するだけで歩く行為がなんか嫌らしい感じに思えてくる。俺のウォーキングは、自欲を満たすための動物的な嫌らしい行為です。さあ、蔑んだ目で俺を見るといい。俺は、その中を、ただ、歩く。

 去年、嫁と温泉行ったんですけど、あのねえ、駅から宿まで、1時間あるんです。で、まあ、俺、歩いて行けるな、って、思っちゃったんですね。じゅるり! みたいな。「え、1時間!? じゅるり!」みたいな。

 であのー、嫁には、言わなかったんですね。1時間とは。1時間って言ったら反対されますからね。うん、まあまあ近いみたいだよ……みたいなこと言っておいて。

 やあ。楽しかった。歩いても歩いても着かないんだもの。楽しー! あ、光が見えた! あれ温泉街だよ! とか言って、10分後、それがただのコカコーラの看板だったことが分かったり。楽しー! 途中雨降ってきてね。超! 楽しい!

 朝、ちい散歩っていう番組やってるじゃないですか。あの、地井武男おじいちゃんがいろんな地域を徘徊する番組なんだけど、地井さん、ものっすごいニヤニヤして歩いてるんですね。たぶん、彼も、自欲を満たすための、動物的なウォーキングをする人なんだろうなあ、と思っている。健康とか街の人との交流とかは副次的な効果で、彼はただ欲望に従って歩いてるだけだ。

 結果オーライな欲求。

 前、すんごい長寿なおばあちゃんに「長寿の秘訣は何ですか?」とかインタビューしてて、そのおばあちゃんが「我慢しないこと」とか言ってて、「へえー意外ですねえ!」みたいな感じになってたんだけど、彼女の欲望はいろいろひん曲がってるんじゃないかな、と思う。なんだろ、緑と赤に異常に執着していて緑と赤のものしか食べない、とか。

 高校時代、ベンゼン環を見てると異常に興奮する、とか言ってた栗田君は、元気でやってるだろうか。





2004-07-20   思考  
 ミスチルじゃないけど、何かを分かって欲しくてサインを出すことがあります。

 この前、本社近くのさっぶい食事情のことを書いたんだけど、今俺はちょっと別の会社に常駐してまして、そこの会社の近くは活気に溢れていて食べ物に事欠かない。同じ東京都なのに! この格差! 今行ってる会社ってのは、ウチの会社より数倍大きいんだけど、なんだろ、こういう食とかそういうところから、な気がする。こんだけ日替わりでおいしいもん食べてりゃ、そりゃあ株も上がるわ。ブレーンもストーミングするわ。

 まあ、いいんだけど、そうは言っても、長いこと居ると、だんだん、あのー、良く行く店と行かない店ってのが分かれてくるもので、僕らにも、行きつけ、と呼べる店ができた。そこの名前が、まあ、仮に、「四廠亭」、としましょうや。よしょうてい。で、ちょっと難しい字だったから、初め、僕らね、なんて読むか分からなかった。まあ、分からないまま何回か通っていたんですけど、ある日、店の座敷の隅をふと見たら、あのー、毛筆で、店の名前を書いたものが貼ってあって。その上に、ふりがながふってあった。

いてうよしよ
亭廠四

こんな感じで、なんつーか、右から読む感じで、こう、大正ロマンといいますか、書いてあったんですけど、あのー、先輩が、それを見て、

「あー、うよしよ亭って言うんだ」

何故、亭、だけ残して左から読んだんだろう。よく分からないけど、俺、びっくりして、

「いや、右から読むんじゃないですか?」

「あ、なるほど」

先輩も理解してくれた。と思っていたのですが。次の日。

「よしよう亭行こうぜ、よしよう亭」

 こう、なんだろ、明らかに、日本語の経験則から、よしょう亭じゃないですか。ちっちゃくなるじゃないですか。言いにくいでしょ? よ・し・よ・うって、言いにくいでしょ? で、俺も、その場で「いや、よしょう亭でしょ?」とか指摘すれば良かったんですけど、あのー、「ああ、はい」とか言っちゃったんですよね。いや、ホント理由は無いんですけど、あー、めんどくさかったんですかね、とにかく、流してしまった。

 そこからですよ。今まで、結局毎日のように先輩の提案で四廠亭には行っているんだけど、毎回、先輩は、よしようよしよう言う。でも、先輩に指摘できないでいる。だって、今更、「先輩、前前から気になってたんですけど……」とか言うのは非常に言いづらい。前前から、って、じゃあ何で早く言わなかったんだ、って話じゃないですか。泳がして馬鹿にしてたみたいでなんか嫌だ。すべては、初日に指摘しなかったからだ。

 もう、こうなったら、先輩に自分で気づいてもらうしかない。そう思った俺は、もう、四廠亭で、事あるごとに「いやあ、よしょう亭は旨いなあ」だとか、「よしょう亭ってどういう意味なんすかね?」だとか、事あるごとに、よしょうよしょう言って、先輩にサインを送りつづけています。「しょ」の部分ものすごい速く発音してね。ちっちゃいよ! ちっちゃいんだよ!

 まあ、でも、気づく気配は全く無く。今日もまた言いにくそうに、よしようよしよう言っている。まあ、そんなもんだよなあ。でも、アレだ、日本語って、そもそも言い易いように「よ」が小さくなったりするものだから、そのうち自然に先輩が「よしょう亭」と言い出す日が来るかもしれない。先輩の中だけで、日本語が進化していく。僕たちは、日本語の訛る過程の目撃者になれるかもしれない。学研の透明アリの巣観察セットの気分で見守ろうと思います。

 まあ、サインの話に戻ると、あのー、まあ、人に分かってもらおうとしてサインを出しつづけていることって良くありますけど、逆にね、人が、俺にサインを出しているんじゃないか、と思うことがある。

 家の近くに喫茶店があるんだけど、そこで出しているカレーが、俺、結構気に入ったんですよ。俺、何回か言ってますけど、あの、カレーは粉から作るくらい凝ってまして、あの、自分の好きな味は自分しか出せない、みたいなところがあるんで、こう、あんまり、人のカレーに感動することって、無いんですよ。

 でも、そこの喫茶店のカレーがね、なんか、おいしかった。で、俺、ホント、この感動をみんなにも分けてあげたくって、あのー、何人くらいかなあ。7,8人くらい連れてったかなあ。全部サシで行ったんですけど、あ、だから、毎週連続で7,8回行ったことになる。
「ここのカレーは、ほんとおいしいんだ」
「ここの名物はカレーだから」
と念を押し、カレー以外を頼ませないようにして。

 で、この前、またカレーを食べに一人で行ったんですけど、あのー、メニューに、見慣れないシールが貼ってあった。

「パスタが評判の店 ○○」

 客が10人入れば一杯、のような店なんで、俺が毎週のようにカレーカレーはしゃぐ姿は、店員にも見えただろう。

 うちはパスタで売ってんだよ! 勝手にカレーが名物とか言うな!
 という、俺に対しての、サインなのではないか。

 思わず、食べたくもないペペロンチーノを頼んだ。




2004-06-05   思考  
 あのー、昨日から今日にかけて、めちゃめちゃ部屋を、綺麗にしたんですよ。あのー、何回も言ってますけど、俺の部屋というのは、なんつーか、あー、何ていうんだろ、混沌としている。なんつーか、カオス? ダークフォース? みたいな。光さえ届かない、みたいな。そんな感じである。そんな感じであるのだ。

 それが、今はどうだ。この世に、秩序が、生まれた。生まれたのだ。服はクローゼットに。本は本棚に。ペットボトルは冷蔵庫に。彼らは、彼らの居るべき場所に戻っていった。こういう言い方するとかっこよくね? あー、はい、分かってますよ。当たり前だってこと。幼稚園児か、ってことでしょ。おかたづけ、できるかな? みたいな。いや、違う。幼稚園児と俺の決定的な違いは、片付ける場所を間違えないことだ。俺は本をクローゼットにしまったり、服を冷蔵庫にしまったりしない。そこだけは、強調したい。なんつーか、競合他社と差別化を図りたい。競合って。

 まあ、それはいいや。それはいいんだけど、あのー、部屋が綺麗になったおかげで、俺は、今日一日めちゃくちゃ機嫌が良かった。社内ネットワークで見つかったウイルスが性能測定マシンを突然シャットダウンさせても「あらあら」と言った。今やってる仕事ってのはパフォーマンス測定でして、3日間アプリケーションを連続で動かして、なんだ、メモリ使用率とかを測定するんですよ。で、今日は、その3日目でしたよ。あと数時間で終わる、って頃ですわ。そんなタイミングで非情にもマシンをシャットダウンした極悪ウイルスを目の前にして、「あらあら」と言った。器、でけー。なんだろ、坂本竜馬とかちっさいちっさい。こっちはウイルスに向かって「あらあら」だよ。自分でびっくりした。あー。でも、坂本竜馬もでけーよなー。世界の海援隊とかなー。

 まあ、竜馬はいいんだけど、あ、そう、あの、俺、意外に、この部屋に引っ越してから、掃除を頻繁にするようになったんですよ。この、俺が!ですよ。仙台に居た時は、アレだなー。6年間住んでいて、掃除、10回くらいしたかなー。そのくらいの。もう、なんだろ、一回、女の子が遊びに来て、扉を開けて、「うわっ」と言って、そのまま閉められたことがある。あれっ? と思って外に出たら、もう居なかった。あと、みんなで鍋をやろう、ってことになって、あの、俺の家でやることになったんですけど、一番早く来た子が、俺の部屋を見て、「臭い!」「こんな部屋でやりたくない!」とリアルで怒り出したことがある。「怖い!」と思った。そんな部屋でした。
 しかし今はどうだ。毎週掃除をしているし、1ヶ月に1回は、なんだ、模様替えやら何やらで楽しくて仕方が無い。で、なんでだろう、とか考えたんですわ。何故、俺は、この部屋だと、掃除をする気になるのか。

 で、あのー、結論が、「狭いから」だと思った。

 なんつーか、今住んでるのってワンルーム6畳なんですけど、仙台の時は、11畳の部屋に住んでたんですよ。まあ、仙台家賃安いし。この11畳というのは、一人暮らしにしては、けっこう広い。良くも悪くも、何でも出来てしまう。で、俺は、悪いほうに進んでしまった、んですね。
 空間プロデューサ、というのが仕事になっちゃうくらいだから、部屋をしっかりとしたコンセプトのもと構成するというのは、実はとても難しいことなのだ。片田舎で、畳にユニーで買ったテーブル、という部屋で育った素人、や、それ以下の男に11畳の部屋を与えたらどうなるか。想像に難くない。

 色彩感覚が麻痺したような取り合わせの家具。溢れ出す服。積みあがる本。うず高い弁当の空き箱。飛び交う蟲たち。
 今思い返すと、すごかったなあ、あの部屋。
 なんだろ、とんでもないものを作ってしまった、と自分でも思うよ。この世に地獄を再現した、というか。恐山か、俺の部屋か、みたいな感じになっていた。あ、あのねー、もっと言うと、ウチのアパート、外観、結構お洒落だったんですよ。なんか、真っ白で、ちょっとしたペンション、みたいな。住んでる人もなんかお洒落髭をたくわえてるような人ばっかりで。まさか、その中で、一人の青年が、そんな世界を、作り出してるとは。

 で、ものすごいことになってしまった11畳の部屋なんだけど、俺も、どうにかしよう、とは、何回か思いました。でもね、あのー、11畳の部屋がものすごくなるってことは、もう、モノがめちゃめちゃ多い、ってことですから、なんだろ、片付ける気力が失せるんですよ。ホントに。まじんこで。どのくらいで終わるのか、まったく見当がつかない。この、地面に層のように積みあがった服を見るだけで、気が遠くなる。なんつーか、大自然の前に己の無力さを知る、 みたいな。そんなことを考えているうちに、あ、もういいや、って。スッと、肩の力が抜けて、楽になるんですよ。決して、抜いてはいけない場面なんですけどね! 抜けて、勝手に楽になってしまった。

 ところが、この、今住んでいる6畳の部屋はどうだ。
 家具の配置は、狭い分限られていてとても考え易いし、いざ片付けよう、と思ったら、1時間足らずで片付いてしまう。ジャスト、俺サイズ。コンビニ世代の、俺サイズ。ちょっと家具とかランプとかにこだわってみたりする余裕まで生まれる。なんだ、俺でも、ちゃんと部屋を作れるんじゃないか。俺、ちょっと、本気で自分のこと心配してました。なんか、片付けられない病気なんじゃないか、って。なんか、ポストごみ屋敷おじさん、みたいな。なんか、取材とか来ちゃうの。そしたら、「ケチャケチャケチャ!」って言って馬鹿な振りをしようとまで決めていました。

 まあ、それはいいんだけど、なんだろ、結論を言うとね、俺には、11畳は、広すぎたんだよ。俺には扱えない広さだった。かの韓信が高祖に「陛下不過将十万」と言ったように、人には「分」というものがある。俺は6畳の部屋が似合う男なのだ。6畳の部屋で、6畳ほどの幸せを、かみしめる生活。これがいい。

 で、なんか、この、感情を、歌にしたいなあ、と強く思ったので、歌ってみました。

 六畳マン (作詞・作曲 yasunori@)


 今日はこの曲を聴きながらお別れです。




2004-04-11   思考  
アウトソーシング、という言葉がある。

 例えば、自社でのノウハウが少ないIT部門を、部門ごと別のIT会社に任せてしまう。自分の会社で慣れないことを無理してやるより、外に任せたほうが、人員をかける手間も、失敗するリスクも減る。
 こういう特定の処理の委譲は、会社というよりむしろ人間のほうが昔から得意としている分野で、「餅は餅屋」という言葉のとおり、いろんなものを外のソースに頼ってきました。
 料理の苦手な母親は総菜屋に料理部門を委譲し、勉強の苦手な荒川君は石井君に宿題部門を委譲し。
 で、俺もね、最近、ある機能をアウトソーシングできることに気づいて。

 切符を買う時の、お金の計算。

 例えば、130円の切符を買うためには、普通、100円を1枚と、10円玉を3枚を財布の中からセレクトしなければならないわけですが、これが、意外と時間がかかる。特に俺の財布は小銭入れ部分が小さいので、こう、1本の指だけで小銭を内壁にへばりつけながら取り出すことになるんだけど、この方法で目当てのコインだけを取り出すのは至難の業なわけで。10円だと思って取り出したコインが実は5円で、戻して、次のコインを取り出したら、取れたのはさっきの5円で、気が付いたら後ろには長蛇の列で。

 でも、よく考えてみれば、切符の自動販売機には、130円だけを抜き出す能力が既に備わっている。これをフル活用すれば、いいじゃないか。

 1本指方式で抜き出したコインを何も考えずに入れつづければ、機械は130円を満たした時点で切符を発行してくれるわけだ。別に、コインをわざわざ選んで入れる必要は無いじゃないか。5円や1円が抜き出された場合も、無条件に機械に突っ込めばいい。1円や5円をはじくのも、機械の仕事。お金の計算を機械に完全に委譲することによって、俺の仕事は本当に簡単なものになる。財布から出たコインを入れるのみ。余ったり不正なコインならば出てくる。それだけ。

 これに気づいてから、お金を数えること自体がめんどくさくなってきて、最近では、コンビニでもこの方式を使うようになってきました。444円になります、と言われた時、俺は、手当たり次第にお金をじゃらじゃらと出して、並べる。そうすると、コンビニの店員が、勝手に目当ての分だけを取り出してくれるのだ。こっちはまったく頭を使わずに、お金を払うことができる。素晴らしい!

 思えば、昔からお金の計算に関しては楽をすることばかり考えていました。。

 小学校の修学旅行で、指定の売店でおみやげを買うことになったんだけど、おこづかいの限度額が3000円だったんですよね。しかも、学校指定の売店だから、レジの人は僕らの規則を良く知っていて、3000円までしか売ってくれないことになっていて。
 で、みんな、合計金額が3000円以下になっているかどうか、一生懸命計算してるわけですよ。

 俺は、そこで、発明をしてしまうわけですよね。3000円以内に収まってるかどうかなんて、自分で考えることないじゃないか。3000円チェッカーが、居るじゃないか。俺は、適当にその辺のキーホルダーやら何やらをを籠に入れ、得意顔でレジへ持っていきました。もし3000円を越していたら、そこでいくつか返品すればいいだけのことだ。俺は、最も少ない労力で、3000円以内かどうかを判断できる。俺って天才じゃないか。

 でも、売店の人は、余裕で合計3000円越す商品を持ってきた俺を、ちょっと頭の悪い子だと思ったんでしょうね。「いい? ほら、全部足すと、3000円より多くなるでしょ? ちょっと難しいかな?」みたいなことを言ってきて。
 いやいやいや! 分かってるんだよ。分かってるけど、めんどくさいから、あんたにやらせてんだよ! 強いていれば、俺のほうが、一枚上手なんだよ!

 なんで、うまいこと考えた俺が馬鹿にされなければならないのか。非常に腹立たしい。

 そういえば最近、近所のコンビニで、1000円以内の買い物の場合、1000円札を出した瞬間に、「1000円からお預かりします」と、そそくさと会計されるようになった気がする。お前の小銭を数えるのには、もううんざりだ! といったところでしょうか。コンビニ店員の乱。

 おかげで、ただでさえ入れる場所の小さい財布の小銭ポケットがパンパンです。ごめんなさい。ちゃんと数えて出すから、小銭を払わせてください。




2004-03-21   思考  
ごきげんだね〜。

 生きていれば、必ず誰かとぶつかったり、自分の無力感にうんざりしたりすることがある。その時、人は、妥協する。自分の欲しかったもの、実現したかったものから、ちょっとだけ、ずらすわけです。

 例えば、koike2@hoge.comなんていうメールアドレス。koikeが欲しかったんだろうなあ。でも、koikeは既に他の人に取られていて、数字をつけることで、ちょっとだけずらす、つまり妥協したわけです。koike2。自分、どうせ2番っスから、みたいな、ちょっとした物悲しささえ漂う、番号つきのメールアドレス。まあ、でも自分の名前に準じた言葉を冠したメールアドレスとしては十分機能を果たしているわけで、まあ、良い妥協ではあります。

 大きな駅の近くに住むのは、とても便利です。近場で何でもそろうし、アクセスだって良い。しかし、そんな駅の近くは、総じて家賃が高い。そこで、僕ら底辺で生活している人はどうするかっていうと、大きい駅の一つ先の駅、で妥協するわけです。自分の住みたい地区からちょっとずらすことで、家賃の安さと、ある程度の便利さを手に入れる。ウチの部の新人の家の最寄駅を挙げてみれば、糀谷(京急蒲田の隣り)、八丁畷(京急川崎の隣り)、神奈川(横浜の隣り)など、みんな大きな駅の隣り。でも、人に言う時は、「川崎に住んでる」とか言ってしまうところがいじらしい。

 こうやって、実現不可能な夢でも、人はずらすことである程度の満足感を得ることができるんだけど、たまに、ずらしすぎることがあります。

 大学時代、本当にお金が無かった。高い服が売っている店に行って眺めたりはするんだけど、1着ウン万円もする服なんて買えるわけが無い。買えるわけが、無いじゃないか。
 で、どうするかっていうと、ダイエー。ダイエー、すごいよ。ワゴンの中には色とりどりのトレーナーやらTシャツやらが放り込まれていて、どれでも3着1900円。安すぎる。この中から、「さっき高い店で見たかっこいい服に一番似ている服」を探すわけです。ただ、ワゴンの周りには、もうお洒落を諦めたような、チェックのYシャツをズボンに押し込んだような若者しかいないんですよね。話し掛けようものなら、「服? 服というのは、社会的な生活を送るために性器を隠蔽するための……」とメガネをガクガクさせて語りだしそうな。
 この輪の中に入るには、非常に勇気が要る。俺は、別に、お洒落を諦めたわけではない。俺は、安いワゴンの中から最高のものを見つけ出すのだ。俺はあいつらとは違う、俺はあいつらとは違う、そんな風に自分に言い聞かせて、えいとばかりにその輪の中に斬りこんでいく。

 ただ、そんなワゴンの中に、「高い店で見たかっこいい服に似ている服」なんて、あるわけがない。で、あと、ワゴンの中の服を見ているうちに、だんだん、その、記憶のかっこいい服がどんどん色あせていく。結局、当時俺が選んだ服は、「色が似てる」とかその程度の、なんだろ、「松たか子に鼻が似てる」とかその程度の似かたの服だったりするわけで。明らかに、妥協しすぎ、です。でも、当時の俺は、「自分がかっこいい服に準じた服」を着ていると思い込んでいた。

 その自信をぶち壊されたのは、前にも書いたかもだけど、大学の卒業旅行で、中国へ行くことになった時。助手の中国人が、中国の奥地には野盗が出るから、良い服を着ていくと危ないぞ、と忠告してくれたんです。俺は、一緒に行く友人と「どうしよう、かっこ悪い服なんてウチにあったかしら」とうろたえたわけですが、先輩が、明らかに、俺の友達だけ心配してるんですよ。「お前、あぶないぞ、お前、あぶないぞ」と。えー。俺はー? この、芸能界における久本みたいな扱いを初めて受けることによって、「ああ、俺の服って、かっこ悪いんだ」と気づく。




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