ごきげんだね〜。
生きていれば、必ず誰かとぶつかったり、自分の無力感にうんざりしたりすることがある。その時、人は、妥協する。自分の欲しかったもの、実現したかったものから、ちょっとだけ、ずらすわけです。
例えば、koike2@hoge.comなんていうメールアドレス。koikeが欲しかったんだろうなあ。でも、koikeは既に他の人に取られていて、数字をつけることで、ちょっとだけずらす、つまり妥協したわけです。koike2。自分、どうせ2番っスから、みたいな、ちょっとした物悲しささえ漂う、番号つきのメールアドレス。まあ、でも自分の名前に準じた言葉を冠したメールアドレスとしては十分機能を果たしているわけで、まあ、良い妥協ではあります。
大きな駅の近くに住むのは、とても便利です。近場で何でもそろうし、アクセスだって良い。しかし、そんな駅の近くは、総じて家賃が高い。そこで、僕ら底辺で生活している人はどうするかっていうと、大きい駅の一つ先の駅、で妥協するわけです。自分の住みたい地区からちょっとずらすことで、家賃の安さと、ある程度の便利さを手に入れる。ウチの部の新人の家の最寄駅を挙げてみれば、糀谷(京急蒲田の隣り)、八丁畷(京急川崎の隣り)、神奈川(横浜の隣り)など、みんな大きな駅の隣り。でも、人に言う時は、「川崎に住んでる」とか言ってしまうところがいじらしい。
こうやって、実現不可能な夢でも、人はずらすことである程度の満足感を得ることができるんだけど、たまに、ずらしすぎることがあります。
大学時代、本当にお金が無かった。高い服が売っている店に行って眺めたりはするんだけど、1着ウン万円もする服なんて買えるわけが無い。買えるわけが、無いじゃないか。
で、どうするかっていうと、ダイエー。ダイエー、すごいよ。ワゴンの中には色とりどりのトレーナーやらTシャツやらが放り込まれていて、どれでも3着1900円。安すぎる。この中から、「さっき高い店で見たかっこいい服に一番似ている服」を探すわけです。ただ、ワゴンの周りには、もうお洒落を諦めたような、チェックのYシャツをズボンに押し込んだような若者しかいないんですよね。話し掛けようものなら、「服? 服というのは、社会的な生活を送るために性器を隠蔽するための……」とメガネをガクガクさせて語りだしそうな。
この輪の中に入るには、非常に勇気が要る。俺は、別に、お洒落を諦めたわけではない。俺は、安いワゴンの中から最高のものを見つけ出すのだ。俺はあいつらとは違う、俺はあいつらとは違う、そんな風に自分に言い聞かせて、えいとばかりにその輪の中に斬りこんでいく。
ただ、そんなワゴンの中に、「高い店で見たかっこいい服に似ている服」なんて、あるわけがない。で、あと、ワゴンの中の服を見ているうちに、だんだん、その、記憶のかっこいい服がどんどん色あせていく。結局、当時俺が選んだ服は、「色が似てる」とかその程度の、なんだろ、「松たか子に鼻が似てる」とかその程度の似かたの服だったりするわけで。明らかに、妥協しすぎ、です。でも、当時の俺は、「自分がかっこいい服に準じた服」を着ていると思い込んでいた。
その自信をぶち壊されたのは、前にも書いたかもだけど、大学の卒業旅行で、中国へ行くことになった時。助手の中国人が、中国の奥地には野盗が出るから、良い服を着ていくと危ないぞ、と忠告してくれたんです。俺は、一緒に行く友人と「どうしよう、かっこ悪い服なんてウチにあったかしら」とうろたえたわけですが、先輩が、明らかに、俺の友達だけ心配してるんですよ。「お前、あぶないぞ、お前、あぶないぞ」と。えー。俺はー? この、芸能界における久本みたいな扱いを初めて受けることによって、「ああ、俺の服って、かっこ悪いんだ」と気づく。
生きていれば、必ず誰かとぶつかったり、自分の無力感にうんざりしたりすることがある。その時、人は、妥協する。自分の欲しかったもの、実現したかったものから、ちょっとだけ、ずらすわけです。
例えば、koike2@hoge.comなんていうメールアドレス。koikeが欲しかったんだろうなあ。でも、koikeは既に他の人に取られていて、数字をつけることで、ちょっとだけずらす、つまり妥協したわけです。koike2。自分、どうせ2番っスから、みたいな、ちょっとした物悲しささえ漂う、番号つきのメールアドレス。まあ、でも自分の名前に準じた言葉を冠したメールアドレスとしては十分機能を果たしているわけで、まあ、良い妥協ではあります。
大きな駅の近くに住むのは、とても便利です。近場で何でもそろうし、アクセスだって良い。しかし、そんな駅の近くは、総じて家賃が高い。そこで、僕ら底辺で生活している人はどうするかっていうと、大きい駅の一つ先の駅、で妥協するわけです。自分の住みたい地区からちょっとずらすことで、家賃の安さと、ある程度の便利さを手に入れる。ウチの部の新人の家の最寄駅を挙げてみれば、糀谷(京急蒲田の隣り)、八丁畷(京急川崎の隣り)、神奈川(横浜の隣り)など、みんな大きな駅の隣り。でも、人に言う時は、「川崎に住んでる」とか言ってしまうところがいじらしい。
こうやって、実現不可能な夢でも、人はずらすことである程度の満足感を得ることができるんだけど、たまに、ずらしすぎることがあります。
大学時代、本当にお金が無かった。高い服が売っている店に行って眺めたりはするんだけど、1着ウン万円もする服なんて買えるわけが無い。買えるわけが、無いじゃないか。
で、どうするかっていうと、ダイエー。ダイエー、すごいよ。ワゴンの中には色とりどりのトレーナーやらTシャツやらが放り込まれていて、どれでも3着1900円。安すぎる。この中から、「さっき高い店で見たかっこいい服に一番似ている服」を探すわけです。ただ、ワゴンの周りには、もうお洒落を諦めたような、チェックのYシャツをズボンに押し込んだような若者しかいないんですよね。話し掛けようものなら、「服? 服というのは、社会的な生活を送るために性器を隠蔽するための……」とメガネをガクガクさせて語りだしそうな。
この輪の中に入るには、非常に勇気が要る。俺は、別に、お洒落を諦めたわけではない。俺は、安いワゴンの中から最高のものを見つけ出すのだ。俺はあいつらとは違う、俺はあいつらとは違う、そんな風に自分に言い聞かせて、えいとばかりにその輪の中に斬りこんでいく。
ただ、そんなワゴンの中に、「高い店で見たかっこいい服に似ている服」なんて、あるわけがない。で、あと、ワゴンの中の服を見ているうちに、だんだん、その、記憶のかっこいい服がどんどん色あせていく。結局、当時俺が選んだ服は、「色が似てる」とかその程度の、なんだろ、「松たか子に鼻が似てる」とかその程度の似かたの服だったりするわけで。明らかに、妥協しすぎ、です。でも、当時の俺は、「自分がかっこいい服に準じた服」を着ていると思い込んでいた。
その自信をぶち壊されたのは、前にも書いたかもだけど、大学の卒業旅行で、中国へ行くことになった時。助手の中国人が、中国の奥地には野盗が出るから、良い服を着ていくと危ないぞ、と忠告してくれたんです。俺は、一緒に行く友人と「どうしよう、かっこ悪い服なんてウチにあったかしら」とうろたえたわけですが、先輩が、明らかに、俺の友達だけ心配してるんですよ。「お前、あぶないぞ、お前、あぶないぞ」と。えー。俺はー? この、芸能界における久本みたいな扱いを初めて受けることによって、「ああ、俺の服って、かっこ悪いんだ」と気づく。
こんなのも書いたよ。