超汚いお店。
飲食店で、超汚いお店ってあるじゃないですか。なんというか、年季入ってて床の油染みが取れない、とかそういう汚さではなくて、もう絶対ここ掃除してねえだろ! 的な。完全に怠惰が原因の。
昔仕事で早稲田にいたんですけど、学生街にはそういう積極的汚さを維持しているお店がいくつもある。
で、すごいなあと思ったのは、3年くらい居たんだけど、食中毒で店を閉じている、とかいう風景に出会うことは無かった。
いや、何を当たり前のことを、って思ってるかもしれないですけど、汚部屋クリエイターの我々の思考からすれば、この現象は本当に驚きですよ。
え、汚部屋クリエイターです。かくいう俺も、放っておくと汚部屋の最上級であるところの魔窟を生成する能力を有しておりましたが、今は嫁が居るということと、6帖という身分相応な部屋を与えられていること、これらが相まって、そこまで能力を出さずに済んでいます。あれですけどね。若いうちは「汚い!」と言われて「エッヘッへー」で済んでますけど、40過ぎるとただのごみ屋敷おじさんですからね。更生できて良かった。
で、元・汚部屋クリエイターである俺が、あの、元泥棒が明かす空き巣に狙われやすい家、みたいな感じでしゃべりますけど、いいですか、あの、えっと、はい、汚部屋クリエイターです。職業です。え? 大部屋じゃないです。汚部屋、汚いって書いて汚部屋。はい。あ、ちゃんと声替えてもらってます? 親とか見てるかもしれないんで。これ夕方のニュースですよね? そうですか、じゃあしゃべります。
えー。そうじをしない、という選択は、「すべてがめんどくさい」という時に生まれます。
「それどころじゃない」という時にもそうじをしないという選択は生まれますが、大抵「それどころじゃない」の先にあるものは、「それ」どころ程度のものです。その思いは「それ」を過大評価、もしくは今まで放っておいてたことを棚にあげて自分は忙しい、掃除している場合じゃない、という自分への嘘から生まれています。そしてその嘘は「めんどくさい」から生まれていますので、やっぱり「すべてがめんどくさい」時に生まれています。
したがって、めんどくさいの塊になったとき、部屋が汚れます。
これ言い出すとなんか道徳の授業みたくなってしまうんで言いたかないんですけど、部屋が汚れているときは確実に本人やる気ないってのは真理ですよね。ありゃ真理だ。部屋の乱れは心の乱れ。ああ、うまいこと言ったもんです。そのとおりでさあ!(折れた傘で空ペットボトルを回しながら)
で、もし俺が飲食店の店主で、店の顔とも言える店内の掃除がめんどくさくなっちゃってたとしたら、食器洗うのもめんどくさいし、素材切るのもめんどくさい。めーんどーくさーい! そして近い将来、めんどくさいの雪崩が、食中毒事件を必ずや起こすはずなのです。
しかし、1件も起きなかった。
あんまり詳しくないですけど、まな板とふきんを洗わないでいたら、夏場とか、わりと食中毒って簡単に起こると言います。
ということは、「そこ」だけはちゃんとやってたってこと?
なんでなんで? お店の運営自体がめんどくさくなってるのに、食品の衛生を最終防衛ラインのように守るのは何なの? そこに何があるの? せめて他人には迷惑をかけまいとする心? すべてを失っても、それだけは残っていたというの?
昔の記憶をたどると、ひとつ思い当たるふしがあります。
学生時代、汚部屋仲間の一人が観葉植物を育てていまして、まあ全く「観葉」になってなかったんですけど、水だけはきっちりあげてた。これには俺も言葉を失いました。なぜそんなことをするんだい? もうお前の部屋は死んでるんだぜ?
彼は「だってかわいそうだろ」と答えました。そうか。こいつは、すべてがめんどくさくなっても、それがもとで植物が死ぬのは嫌なんだ。
汚部屋の澱みに食い殺される前の、最後の人間らしさ。一筋の光に手をかざす姿が、そこにはあったのかもしれません。
彼は観葉植物の生命を維持することを最終防衛ラインにしていたのかもしれない。
そして、汚いお店の店主たちも。食の安全を守ることだけ、それだけを、最終防衛ラインにしていたのかもしれない。
みたいな話を以前後輩にしたところ
「食中毒云々の前に、あの店に人が入ってるの見たことあります?」
ないわい。
飲食店で、超汚いお店ってあるじゃないですか。なんというか、年季入ってて床の油染みが取れない、とかそういう汚さではなくて、もう絶対ここ掃除してねえだろ! 的な。完全に怠惰が原因の。
昔仕事で早稲田にいたんですけど、学生街にはそういう積極的汚さを維持しているお店がいくつもある。
で、すごいなあと思ったのは、3年くらい居たんだけど、食中毒で店を閉じている、とかいう風景に出会うことは無かった。
いや、何を当たり前のことを、って思ってるかもしれないですけど、汚部屋クリエイターの我々の思考からすれば、この現象は本当に驚きですよ。
え、汚部屋クリエイターです。かくいう俺も、放っておくと汚部屋の最上級であるところの魔窟を生成する能力を有しておりましたが、今は嫁が居るということと、6帖という身分相応な部屋を与えられていること、これらが相まって、そこまで能力を出さずに済んでいます。あれですけどね。若いうちは「汚い!」と言われて「エッヘッへー」で済んでますけど、40過ぎるとただのごみ屋敷おじさんですからね。更生できて良かった。
で、元・汚部屋クリエイターである俺が、あの、元泥棒が明かす空き巣に狙われやすい家、みたいな感じでしゃべりますけど、いいですか、あの、えっと、はい、汚部屋クリエイターです。職業です。え? 大部屋じゃないです。汚部屋、汚いって書いて汚部屋。はい。あ、ちゃんと声替えてもらってます? 親とか見てるかもしれないんで。これ夕方のニュースですよね? そうですか、じゃあしゃべります。
えー。そうじをしない、という選択は、「すべてがめんどくさい」という時に生まれます。
「それどころじゃない」という時にもそうじをしないという選択は生まれますが、大抵「それどころじゃない」の先にあるものは、「それ」どころ程度のものです。その思いは「それ」を過大評価、もしくは今まで放っておいてたことを棚にあげて自分は忙しい、掃除している場合じゃない、という自分への嘘から生まれています。そしてその嘘は「めんどくさい」から生まれていますので、やっぱり「すべてがめんどくさい」時に生まれています。
したがって、めんどくさいの塊になったとき、部屋が汚れます。
これ言い出すとなんか道徳の授業みたくなってしまうんで言いたかないんですけど、部屋が汚れているときは確実に本人やる気ないってのは真理ですよね。ありゃ真理だ。部屋の乱れは心の乱れ。ああ、うまいこと言ったもんです。そのとおりでさあ!(折れた傘で空ペットボトルを回しながら)
で、もし俺が飲食店の店主で、店の顔とも言える店内の掃除がめんどくさくなっちゃってたとしたら、食器洗うのもめんどくさいし、素材切るのもめんどくさい。めーんどーくさーい! そして近い将来、めんどくさいの雪崩が、食中毒事件を必ずや起こすはずなのです。
しかし、1件も起きなかった。
あんまり詳しくないですけど、まな板とふきんを洗わないでいたら、夏場とか、わりと食中毒って簡単に起こると言います。
ということは、「そこ」だけはちゃんとやってたってこと?
なんでなんで? お店の運営自体がめんどくさくなってるのに、食品の衛生を最終防衛ラインのように守るのは何なの? そこに何があるの? せめて他人には迷惑をかけまいとする心? すべてを失っても、それだけは残っていたというの?
昔の記憶をたどると、ひとつ思い当たるふしがあります。
学生時代、汚部屋仲間の一人が観葉植物を育てていまして、まあ全く「観葉」になってなかったんですけど、水だけはきっちりあげてた。これには俺も言葉を失いました。なぜそんなことをするんだい? もうお前の部屋は死んでるんだぜ?
彼は「だってかわいそうだろ」と答えました。そうか。こいつは、すべてがめんどくさくなっても、それがもとで植物が死ぬのは嫌なんだ。
汚部屋の澱みに食い殺される前の、最後の人間らしさ。一筋の光に手をかざす姿が、そこにはあったのかもしれません。
彼は観葉植物の生命を維持することを最終防衛ラインにしていたのかもしれない。
そして、汚いお店の店主たちも。食の安全を守ることだけ、それだけを、最終防衛ラインにしていたのかもしれない。
みたいな話を以前後輩にしたところ
「食中毒云々の前に、あの店に人が入ってるの見たことあります?」
ないわい。