仕事でちょっと遠くへ出かけました。
で、まあ、お昼時になりまして、その辺りを探して、入ろうとしたわけですが、店の前の黒板が目に入ってきました。
Aランチ: 自家製麻婆豆腐 or 麻婆スパゲティー
その、何で、Aランチに、2つの料理を詰めてしまったんだろう、という。麻婆スパゲティーはBランチにすればいいじゃないか。何のために、Aランチ、ってつけたんだ。
中へ入ると、5人入れる席は無いとのこと。諦めて帰ろうとすると、「2人、2人、1人なら入れるんだけど」としつこく食い下がられた。そんなに詰めたいか! すべてAランチに押し込めたように、人間も押し込めたいか!
まあ、そんなこんなで、別の場所を探してたわけですけど、今度は、ちょっといかつい感じの和食の店を見つけました。
読めない。がんばれば読めるんだけど、客にそこまでがんばらせるな。
こう、和食の店で、わざと崩した字を使ってメニューをお洒落にする、という手法があるけれど、まあ、崩すというのにも限度があって。ひどいもんね。左一番下の、「かつお女」というのは、一体何なんだ。恐ろしい。で、左上から2番目は何を消したんだ。その、縦に伸びる赤い線は、どうやって書いたんだ。
この、なんだろ、文字で相手に何かを伝えようという気がまったく感じられないボードに、食欲まで失ったわけですが。
でも、ちょっと思ったんだけど、例えばを「えー、左の上から2番目のやつ」とでも注文して、まあ、なんか分からないけど、すごくおいしいものが出てきたとする。で、また食べたいと思ったとする。そして、後日再び、この店のボードにの文字というか記号を見つけた。俺は、「やったあ。名前は知らないけどすごいおいしい料理のことだ!」と、認識することができる。
となると、は、日本語としての機能は果たしていないけれど、おいしい料理を表す記号として、完璧にその役割を果たしているではないか。
全然話は変わるんですけど、今、ちょっと機密性の高い仕事をやっていて、社内に設けられたセキュリティースペースで仕事をしているのですが、その、スペースに入る時と出る時に、名簿に名前を書くことになっています。
で、俺も名前を書くわけですけど、これが、どうも、他人には読めないらしい。先輩に、「君の文字は読めない」と言われました。文字が汚いと怒られる社会人。まあ、それはいいんですけど、先輩は、こう付け加えたわけで。「まあ、でも、その汚いサインが君を表すってことは分かったから、それ書きつづけてね」
あの店で、もし、店長がいきなりペン習字の通信講座みたいの始めちゃって、を、ある日突然本来の「日本語」で書いたとする。そうすると、俺は、とても困るのだ。それが、あのおいしい料理と結びついていないから、「あー、今日はあのおいしい料理無いんだー」って思ってしまう。
俺も同じで、突然名簿に美しい文字で名前を書いてしまったら、管理者である先輩が名簿をチェックしている時に、「誰だ! 見たことのない奴が居る!」と、一瞬ドキリとさせてしまうことになる。あの文字は、今後決して変えてはいけないのだ。
一度書いた文字に、責任を持たなくてはならない。大人になるって、そういうことだ。
で、まあ、お昼時になりまして、その辺りを探して、入ろうとしたわけですが、店の前の黒板が目に入ってきました。
Aランチ: 自家製麻婆豆腐 or 麻婆スパゲティー
その、何で、Aランチに、2つの料理を詰めてしまったんだろう、という。麻婆スパゲティーはBランチにすればいいじゃないか。何のために、Aランチ、ってつけたんだ。
中へ入ると、5人入れる席は無いとのこと。諦めて帰ろうとすると、「2人、2人、1人なら入れるんだけど」としつこく食い下がられた。そんなに詰めたいか! すべてAランチに押し込めたように、人間も押し込めたいか!
まあ、そんなこんなで、別の場所を探してたわけですけど、今度は、ちょっといかつい感じの和食の店を見つけました。
読めない。がんばれば読めるんだけど、客にそこまでがんばらせるな。
こう、和食の店で、わざと崩した字を使ってメニューをお洒落にする、という手法があるけれど、まあ、崩すというのにも限度があって。ひどいもんね。左一番下の、「かつお女」というのは、一体何なんだ。恐ろしい。で、左上から2番目は何を消したんだ。その、縦に伸びる赤い線は、どうやって書いたんだ。
この、なんだろ、文字で相手に何かを伝えようという気がまったく感じられないボードに、食欲まで失ったわけですが。
でも、ちょっと思ったんだけど、例えばを「えー、左の上から2番目のやつ」とでも注文して、まあ、なんか分からないけど、すごくおいしいものが出てきたとする。で、また食べたいと思ったとする。そして、後日再び、この店のボードにの文字というか記号を見つけた。俺は、「やったあ。名前は知らないけどすごいおいしい料理のことだ!」と、認識することができる。
となると、は、日本語としての機能は果たしていないけれど、おいしい料理を表す記号として、完璧にその役割を果たしているではないか。
全然話は変わるんですけど、今、ちょっと機密性の高い仕事をやっていて、社内に設けられたセキュリティースペースで仕事をしているのですが、その、スペースに入る時と出る時に、名簿に名前を書くことになっています。
で、俺も名前を書くわけですけど、これが、どうも、他人には読めないらしい。先輩に、「君の文字は読めない」と言われました。文字が汚いと怒られる社会人。まあ、それはいいんですけど、先輩は、こう付け加えたわけで。「まあ、でも、その汚いサインが君を表すってことは分かったから、それ書きつづけてね」
あの店で、もし、店長がいきなりペン習字の通信講座みたいの始めちゃって、を、ある日突然本来の「日本語」で書いたとする。そうすると、俺は、とても困るのだ。それが、あのおいしい料理と結びついていないから、「あー、今日はあのおいしい料理無いんだー」って思ってしまう。
俺も同じで、突然名簿に美しい文字で名前を書いてしまったら、管理者である先輩が名簿をチェックしている時に、「誰だ! 見たことのない奴が居る!」と、一瞬ドキリとさせてしまうことになる。あの文字は、今後決して変えてはいけないのだ。
一度書いた文字に、責任を持たなくてはならない。大人になるって、そういうことだ。