近所をぷらぷらと歩いていたら、ある看板が目に飛び込んできました。
「世界初! 物々交換の店」
物々交換でモノが買えてしまう。例えば、要らなくなった椅子を持っていって、欲しかったシェルフを手に入れることが出来るのだ。すごい。お金という概念をとっぱらって、モノの価値とモノの価値を直結した、斬新なシステム!
でも、ちょっと、待て、と。それは、原始時代、僕らがやっていたことじゃないか。
なんだ、野菜と、肉を交換してもらったり。でも、それだと不都合が多すぎた。だから、貨幣が生まれた。そうやって、進化して来たんじゃなかったっけ。
その、なんだ、廃れたものを今更持ち出して、「新しいでしょう!」みたいなことを言われても、笑うしかない。それを「世界初」と言ってしまえるのなら、俺だって、いろいろな世界初を作ることができる。
「世界初! 汲み取り式のトイレ」
「世界初! 紙で出来た傘」
「世界初! ザンギリ頭」
そうは言っても、昔廃れたものを現代に持ち出すことによって、新たな風が起きることがある。数年前から和風の家具に凝っているんだけど、西洋風にデフォルメされた「違い棚」なんて、最高に美しい。まさに、決して交わることの無かった2つの時代が、出会ってしまった、という偶然の産物。汲み取り式トイレだってそうだ。今、この、資源を大切にしよう、という時代背景にとてもマッチして、大流行するかもしれない(しないと思うけど)。
「世界初! 物々交換の店」は、今後も動向を探っていきたい。
思うんですけど、歴史は繰り返すから、そのうち、その物々交換の店でも、貨幣的なものが生まれてくる気がする。昔の人が、その辺にあったちょっと綺麗な貝殻を貨幣としたように、それは何でも良くて、例えば大量に誰かが売りに来た虎舞竜が貨幣になるかもしれない。その店内だけが、まさにパラレルワールドのように、独自の進化を遂げていく。
外の世界の円安だ、ドル安だ、なんていう複雑極まりない経済の流れに動じることの無い、とても平和な世界。
でも、その閉じた世界の中にも時々問題が起こる。
虎舞竜を大量に買っていく奴が出て虎舞竜の数が激減。虎舞竜恐慌、とか。まあ、そのくらいか。
「世界初! 物々交換の店」
物々交換でモノが買えてしまう。例えば、要らなくなった椅子を持っていって、欲しかったシェルフを手に入れることが出来るのだ。すごい。お金という概念をとっぱらって、モノの価値とモノの価値を直結した、斬新なシステム!
でも、ちょっと、待て、と。それは、原始時代、僕らがやっていたことじゃないか。
なんだ、野菜と、肉を交換してもらったり。でも、それだと不都合が多すぎた。だから、貨幣が生まれた。そうやって、進化して来たんじゃなかったっけ。
その、なんだ、廃れたものを今更持ち出して、「新しいでしょう!」みたいなことを言われても、笑うしかない。それを「世界初」と言ってしまえるのなら、俺だって、いろいろな世界初を作ることができる。
「世界初! 汲み取り式のトイレ」
「世界初! 紙で出来た傘」
「世界初! ザンギリ頭」
そうは言っても、昔廃れたものを現代に持ち出すことによって、新たな風が起きることがある。数年前から和風の家具に凝っているんだけど、西洋風にデフォルメされた「違い棚」なんて、最高に美しい。まさに、決して交わることの無かった2つの時代が、出会ってしまった、という偶然の産物。汲み取り式トイレだってそうだ。今、この、資源を大切にしよう、という時代背景にとてもマッチして、大流行するかもしれない(しないと思うけど)。
「世界初! 物々交換の店」は、今後も動向を探っていきたい。
思うんですけど、歴史は繰り返すから、そのうち、その物々交換の店でも、貨幣的なものが生まれてくる気がする。昔の人が、その辺にあったちょっと綺麗な貝殻を貨幣としたように、それは何でも良くて、例えば大量に誰かが売りに来た虎舞竜が貨幣になるかもしれない。その店内だけが、まさにパラレルワールドのように、独自の進化を遂げていく。
外の世界の円安だ、ドル安だ、なんていう複雑極まりない経済の流れに動じることの無い、とても平和な世界。
でも、その閉じた世界の中にも時々問題が起こる。
虎舞竜を大量に買っていく奴が出て虎舞竜の数が激減。虎舞竜恐慌、とか。まあ、そのくらいか。
こんなのも書いたよ。